ところが、です、明治時代の地図を見ると地続きだったことがわかります。また、稲荷木、大和田、河原、下新宿と続く集落は、道の両側に集落があるだけでほとんど全てが水田だったことがわかります。だいたい1900年頃の地図です
そういえば、小学校に入る頃(1965年頃)はウチの周りも田んぼだらけで、我が家の目の前に流れるどぶ川(少なくとも私にはそう見えた)には、稲刈りシーズンには田舟が通っていたのです。今では信じられない話ですが。地図には「内匠堀」という文字が見えます。そう、この地域は昔は縦横に掘り割りがあり、船でものを運んでいたのですね。おそらく浦安から小名木川を経由して江戸まで農産物を運び、江戸からは「江戸ごみ」「肥=人糞尿」を運んでいたのでしょう。今になるとその形跡もほとんど残っておらず、ちょっと残念ですね。
そうそう、この地図は埼玉大学の先生が作った素晴らしいソフト「今昔マップ」で出力したのです。この先生はMANDARAというフリーのGISソフトも作っていて、そちらの方は仕事でヘビーに使わせていただいてます。こちらも素晴らしいです。
こんにちわ。
返信削除小生のブログにコメントありがとうございました。
大和田は江戸川放水路が作られた段階で
移転していたのですね。
教えて頂きありがとうございました!
MANDARAと今昔マップも素晴らしいですね。
早速ダウンロードしました(^^