2018年3月21日水曜日

白黒写真をカラー化

最近、昔の白黒写真に色をつけることが話題になっている。
首都大学東京の渡邊英徳准教授による人工知能で色をつけるシステムがSNSで話題になっているそうだ。
今月の「東京人」(2018年4月号)に掲載された、渡邊准教授、写真家のハービー山口、小説家の柴崎有香の対談「モノクロ写真のカラー化で「記憶」を解凍する」は大変面白かった。

そういえば、NHKでも一昨年あたりから、古いフィルムをカラー化したドキュメンタリーを放送したりしていて、その番組にはぐいぐいと引き込まれた。

私自身で言えば、かつて「アサヒカメラ」のコンテストに応募していた頃、モノクロで撮った絵に水彩絵の具で着色して応募したこともあり、アイデアとしては昔から持ってはいた。しかし、AIで自然な色をつけるという体験はもちろんない。

そこで、渡邊准教授が使用したという早稲田大学のシステムを使って自分が撮った昔の写真に色をつけてみた。早稲田のグループが無料でカラー化するサイトを開設しているのだ。

1975年3月 日比谷公園

同日 九州に引っ越すナガイシ君を囲んで男子の記念写真
同日 クラスのほとんどが参加したんだ
同日 みち

同日 うー 名前が思い出せない方も・・・

同日 不良高校生(おいらだ)
同日 ナガイシ、モモセ、ワシ
同日 東京駅にて
カズミとニシノ そういえばスモーキン・ブギがはやっていた頃だ

1975年 季節はよく覚えていない 1年のクラスメートで鎌倉に行った
稲村ヶ崎の駅で記念写真(撮影:関校長)
同日 こっちはおいらが撮影
1975年8月 伊豆急下田? 
マスブチのおじさんのやっている海の家へ行った
その旅行でのスナップ マスブチはかっこええなあ
おいらはダサい



1975年夏 松原湖でキャンプ
この帰り道の電車の中でワシは中耳炎になった
自写像 補正しなかったので顔が見えない
一絞り以上露出を多くしないと・・・


さて、写った皆さんのご意見を聞いてみたいが、すでに鬼籍に入られた方も・・・

白黒で見るよりはビビッドに思い出せるような気もする。




2015年8月26日水曜日

Nagasaki ! #2

さて、長崎2日目。
1日目に見る予定だったオランダ坂を朝食前に散歩しに行った。


朝の散歩。大浦天主堂下電停のあたりから。微妙にブレとる。




にゃんことわんこの飼い主。スナックママ。


旧英国領事館

活水女子大学


見よ、この側溝。石造り。オランダ式側溝と言うらしい。


オランダ坂から孔子廟の屋根を見る。


オランダ坂を下り終わった。朝の散歩おしまい。

ホテルを出て、原爆関連の見学に行く。
大伯父には昨日対面してきたので、原爆資料館、爆心地、浦上天主堂に行く。


長崎原爆資料館。みんな、必ず行った方がいい。世界中の人に見せたい。

平和公園


いわゆる「グラウンド・ゼロ」。この真上で原爆が炸裂した。

爆心地公園にある浦上天主堂遺構。




浦上天主堂では、「被爆マリア」を見たかったのだが、残念ながら巡回中であった。
しかしこの教会の真上で原爆を炸裂させ、多くの人間、動物、植物を焼き殺すなんて、クリスチャンの国がやることか!
原爆投下の命令を出した大統領が「本当の人間」という名前だったのは、極めつきの皮肉である。

そして、その指揮を執ったカーチス・ルメイに、わが国は勲章を贈っているのである。

訪れたとき、たまたまコンサートが開かれていた。
長崎大学医学部の若い先生夫婦がデュエットの演奏をされていた。
心が洗われるようだった。

現在の浦上天主堂

遺構が保存されている



あまりにも有名な山王神社の片鳥居

吹き飛ばされた部分




さて、旅のもうひとつの目的。ルーツ探しである。
父が小学校3年まで暮らしていたのは、長崎市西山町1丁目80番地だと言っていた。
google地図で調べてみるとそんな場所はどうもないようであった。
そんなわけで、父に描いてもらった地図から現場を探すことに。



父が書いた地図
父が書いた地図は、80年以上前の記憶を絵におこしたものだ。
ここから現実の場所が特定できればたいしたものである。

「西山」という地名と、諏訪神社、西山神社の方角から場所を探してみた。

パソコン上で、諏訪神社と西山神社が同時に見えるようにし、父の書いた地図を回しながら、似たような道路の配置がないかをさがした。
おそらくここであろうというところを見つけた。

父が書いた地図を逆さまにすると、だいたいこのあたりであろうと見当が付く。現在は西山本町というらしい。



父の地図で「お地蔵」と描いてあったところ。札所だそうである。記憶は正確だ。

ここが父の生家があった場所だ。わがルーツの家と言うことになる。

父の生家の1軒おいてとなり。祖父が仲人をした家だそうだ。

昔、五島の殿様の家があった隣の道は、西山神社の参道であった。

祖父が店をやっていたという場所に建つ家。

帰りに眼鏡橋を見にいった。