2012年11月5日月曜日

今度は70mm

また買ってしまった。Limitedレンズ。
smc PENTAX DA70mm f2.4 Limitedだ。
早速試し撮り。

おまえはロボットか?千葉市中央区






JR千葉駅前


もと新堀商店。昔は実家に一番近い商店だった。
味噌、醤油など必ずここで量り売りで買っていた。市川市稲荷木。


江戸川土手を歩くといつも撮ってしまうMGマリーンの建物。市川市大和田。


沈む夕日に富士山のシルエットがバッチリ。この日は本当によく見えた。写真を撮る人多数。市川市大和田。



このレンズ、なかなかいいんでないの。
とにかく、とても望遠レンズに見えない大きさ、もちろん軽い。
DA21mm、FA43mm、DA70mmの3本を持っても軽々。
そして良く写る。
気に入りました。

防湿庫を空けるため「無論タムロン」はおさらば。Nikonマウントのシグマズームもおさらば。そして、結構気に入ってたけどDA21mmが来てからめっきり出番の減ったコシナ20mmもおさらばしました。

2012年10月29日月曜日

高砂ウッドストック

”高砂音楽祭2012”に参加してきた。
Old Kentucky Bandとしては久しぶりのライブ。
しかし、昨日、休日出勤で丸一日イベントをこなしてきたあとの朝イチのバンド活動はつらい。布団から離れがたかった。

会場は、京成線の脇にある公園。アレ、一度見たことがある風景だぞ・・・と思ったら、義父が最後に入院していた病院のすぐそばだった。今年の1月だからまだ記憶が鮮明だ。

ステージに上がるとポツポツと雨が・・・。でもわれわれは良かった。ほとんど降ってなかったから。あとのバンドは大変であっただろう。






2012年9月17日月曜日

被災地に行ってきた

もう1週間が過ぎてしまったが、先週、被災地に行ってきた。
ただ行くのもどうかと思ったが、この目で見ておきたい、そう思ったからだ。

仙石線野蒜駅 架線がぐにゃりと垂れ下がっている。いったい復旧は何年後になるのやら。

ワイヤーは架線をつるす吊架線。目の前に垂れ下がっている。

架線を支える支柱はぐにゃり。

水銀灯は完全に寝ている。

東松島市野蒜出張所。相当な人数が犠牲になったのだろうか?
東松島市の犠牲者は1000名を越すという。

2階まで完全に水没した出張所。

ランドセルの持ち主は無事だったのだろうか。




出張所内部。

橋の欄干もぐにゃり。恐るべき力である。

石巻市内。がれきと同様、車、バイクはそこら中に積み上げられている。



がれきの山 石巻市内。

女川町。言葉を失った。

女川町。この建物も持ち上げられ、横倒しになった。

女川港。何もない。

女川町。

石巻市雄勝町。雄勝小学校。この小学校では犠牲者が出なかったそうだ。
教育というのは素晴らしい。


子供たちは助かっても学校の内部は完全な廃墟である。

雄勝中学校。こちらも完全に津波にのみ込まれた。




東松島市野蒜地区を見ると、あちこちに家はあるのだが、住むことはできずみんなもぬけの殻。
家のないところも、地面を見るとそこら中に家の基礎が。
あっという間に街が消えてしまったのであろう。

女川、雄勝でもそうだった。
女川は漁港で栄えた町だ。しかし、パッと見ただけでは町であったところとは全く思えない。家もないし、ほとんど人影もない。

雄勝では小学校、中学校を見た。学校の生徒は全員避難ができたらしい。
しかし、雄勝病院では入院患者の9割方が犠牲になったという。
ここもすっかり町が消えてしまった。

津波の力は本当に恐ろしい。


当日は南三陸町のホテル観洋に宿泊した。
女川町に入ったときにはすでに日が傾いていて、雄勝町ではもうちょっとで日没を迎えそうな感じだった。

国道398号線は、すれ違う車もほとんどなく、人影も見えない。このまま夜を迎えたらヤバイのではないか・・・そんな気分になる。

野蒜駅の前で津波で被災したという女性2人が写真を前に、被災状況を旅行者に伝えていた。語り部とでも言うべきか・・・。

彼女らは「今晩は松島に泊まるの?」と聞いたので、「いえ、南三陸まで行きます」というと、「私、まだ怖くて南三陸には行ってないの。やめた方がいいよ」と言われた。

そんなことを思い出しながら日暮れのみちをひた走る。ちょっと気が急く。


南三陸町のホテル観洋に到着したのは6時頃だった。
大勢の団体さんがいる大きなホテルで、そういったホテルに泊まるのは久しぶりである。

昔は農家のおじさん達の視察旅行に付き添ったり、研究機関同士の視察+会議なんて言う場合にはこんなホテルに良く泊まったものだが、世の中景気が悪くなり、そういう機会もめっきり減っていった。現在の職務ではそんな機会は全くない。ちょっと昔が懐かしい。


エサをくれるのを待っているウミネコorカモメ(どっち?)


凪いでいる海はものすごくキレイだ。

ひとたびパンくずをあげるとものすごい勢いで寄ってくる。

南三陸町ではemobileは全く無力。ずっと電波を拾えなかった。


翌日はホテルが用意する「語り部バス」に参加した。
バスに添乗するホテルの社員=被災者が語り部となり、客に震災被害を語ろうという取り組みである。参加費はわずか500円。燃料費と減価償却費で足が出るのではないか。ホテル観洋、頑張っている。

最後まで避難を呼びかけて犠牲になった、24歳の女性職員の
悲劇であまりにも有名になってしまった防災対策庁舎

朝方は見学者がたくさん訪れる。

この方が添乗された語り部さん。奥さんも子供も無事だったが、
住んでいた住宅の中身は娘さんの1枚の洋服を残して全て流れ去ったとのこと。



この鉄骨の曲がりようで、津波の激しさがわかろうというもの。
全てがぐんにゃりと曲がっていた。



残った建物も骨組みだけ。

気仙沼線の線路跡。全てが流されてしまった。

津波をかぶったところは色が変わっている。信じられない高さまで津波が来た。