2012年4月29日日曜日

追悼 リヴォン・ヘルム

リヴォン・ヘルムが死んだ。
初めて聞いた高校生の頃からずっと好きだった。
ザ・バンドの3人のボーカリストの中でも取り分け好きだった。
喉頭ガンを患って一度声を失った彼が、声を取り戻し作ったアルバム”Dirt Farmer”、”Electric Dirt”はとても素晴らしく、2作連続でグラミー賞を受賞した。
元気に活躍していただけにとても残念である。


メンバーの中の唯一のアメリカ人。ドラムスだけでなくマンドリンも弾き、ブルーグラス人脈にも繋がっていた。

アーカンソーの綿花栽培農家出身の彼の家では、子供の頃、よく、グランド・オール・オープリーを聞いていたそうだ。また、6歳の時、初めてみたライブはビル・モンローだったそうである。従って、彼のルーツには間違いなくカントリーやブルーグラスがあったわけだ。



この動画は、The Last Waltz での”The Night They Drove Old Dixie Down”。
ほとんどのアメリカ人の記憶から消え去っていた南北戦争を題材にした歌である。間違いなくThe Bandの代表曲のひとつであろう。


リヴォン・ヘルムの死に先だつ1ヶ月ほど前、アール・スクラッグスが死んだ。
ブルーグラスが好きな人なら誰でも知っているが、ブルーグラスの父であるビル・モンローとともにブルーグラスを作った人である。Bluegrass Boysにスクラッグスが加入した時点でブルーグラス音楽ができたといわれる事も多い。


アール・スクラッグスは現代におけるバンジョー奏法の、おそらく8割方を、たった一人で作り上げた人である。彼なくしてはブルーグラス音楽の現在はなかった。


リヴォン・ヘルムの最後のアルバムは、グランド・オール・オープリーが行われていたライマン公会堂で行われたライブのDVD。これもグラミー賞を受賞した。2011年のベスト・アメリカーナ・アルバム。素晴らしいライブだ。

1980年のアカデミー賞受賞映画「歌えロレッタ!愛のために」でも、ライマン公会堂のオープリーの映像がずいぶんと出ていた。その映画でロレッタ・リンの父親役をやっていたのはリヴォン・ヘルムその人だった。

リヴォン・ヘルムとライマン公会堂、グランド・オール・オープリー、カントリー、ブルーグラスは切っても切れないものだったようだ。





2012年4月23日月曜日

あれから2年

2年前の4月18日、高校の同窓会が開かれた。
その日ワシは大学の先生、K前学部長の退官記念パーティに出ていて、同窓会の方は2次会だけ出席した。33歳で入学した修士課程でもっとも刺激を受けたのがK先生の農政学特論だった。現場の一技術者だったワシにとっては、視界が一気に広げられたゼミだった。ワシは先生の直弟子ではないが、きわめて強い影響を受けた。だから、是非とも出席したかったのだ。

同窓会を企画したのは、マスブチだった。
彼と出会ったのは中学3年生の時、本八幡の明星学院という学習塾でだった。
すぐに仲良くなって、塾の帰りに駅前の水銀灯を蹴って消して歩いたり、良く悪ふざけをしたものだった。

ある日、塾の先生に二人で呼ばれた。「辞めろ」といわれた。
「おまえらはふざけすぎだ。他の生徒の迷惑になる。だから塾を辞めろ」そういわれた。
それほど良くふざけていた。

高校も、似たような学校を受け、結局同じ公立高校に進んだ。
家が近かったので、彼が2年生の時に西船橋へ引っ越すまではよく遊んだものだ。

ドラムを叩くマスブチ。手前にあるのは当時、きわめてめずらしいkorgのアナログシンセ。
まだ和音が出せず、単音しか出なかった。確か20万円だった。全てN野の持ち物。1975年秋。

バンドも一緒にやった。
彼は、カレン・カーペンターのファンで、ドラムを所有していたわけでもないのに、器用にたたいた。しかし、絶対的な練習量が確保できるわけもなく、本番ではシンバルをたたくべきところで空振りし、下からしゃくり上げたりして、当然リズムはくずれ・・・まあ、うまいというわけではなかった。ギターは結構うまかったけどね。

そんな彼が企画した同窓会の2次会に出たのだ。
大学を出た年の夏、科学技術館で行われていた「三峰」のバーゲンで偶然会って以来、約30年音信不通だったマスブチに会いに行ったようなものだった。

しかし、彼はいなかった。
突然死したのだという。

会場に着くまで、同窓会はあまり気乗りがしていなかった。
しかし、そこで会った1年生の頃のクラスメートと意気投合し、昔を思い出した。
それはビックリするくらい懐かしい出会いであったのだ。
ほとんど忘れていた記憶が、次から次へとイモヅル式に思い出され、それはそれは、メチャクチャ懐かしく、嬉しい出会いであった。

高校1年のクラス。N石君の引っ越しみんなで東京駅まで見送りに行った。

その後、1年生のクラス会を企画し、それから交流が再開した。
今も、大変楽しく交流を続けている。

これもマスブチのお陰だと思っている。
しかし、彼に会えなかったのは返す返すも残念である。

齢50を超えて3年あまり。
人と会える機会があれば、なるべく会っておこうと思う。
何があるかわからないから。

そんな歳になった。



2012年4月9日月曜日

サクラサク

異動から一週間が経過した。
身も心も疲れ果てている。1週間でこんなに疲れたのは人生で初めてかも知れない。
昨年も書いたが、何があっても桜は咲く。今は、満開少し手前かな。

マラソン道路の桜並木 習志野市新栄付近






マラソン道路で行われる「ハミング桜祭り」は1週間早く「空振り」。
提灯だけが残った。









稲荷木小学校発祥の地
市川市稲荷木3丁目


小学校の頃、毎週ソロバンを習いに来た雙輪寺。市川市稲荷木。




2012年4月3日火曜日

smc PENTAX DA 21mm F3.2AL 稲荷木~大和田

予期しない人事異動であった。
はっきり言って、なるべくなら行きたくないところであった。
その晩、家に帰ってきてPENTAXオンラインショップをみていて、アウトレット品をポチリとクリックしてしまった。ヤケ買いである。

リミテッドレンズはFA 43mmに続いて2本目である。

ということでsmc PENTAX DA 21mm F3.2AL Limitedをつけてお散歩してみた。
場所は実家の周辺。

昔は我が家に一番近い商店で、子供の頃良くお使いに来た。
味噌や醤油は量り売りで買っていた事を覚えている。


おお、スパイダーマン



稲荷木の一本松(松は見えない)と延命地蔵。

松自体は枯死してしまい、今は切り株が残っているだけである。

バス停は「一本松」の名がしっかり残っている。


















昔は数軒の商店が並んでいた場所。今はウナギ問屋だけが残っている。それにしてもシブイ。





右側の木は桜。つぼみは結構大きくなっているからもうすぐ開花だ。


まだあった! 小学校の同級生T君の家。毎日のように来て遊んだ。
しかし、記憶にある家とはずいぶん異なる。門構えが変わったからか・・・
産業道路沿いに、いつの間にやらこんなリサイクルショップができていた。
景気を反映してか、駐車場は満車。