2015年1月2日金曜日

平成27年正月 誉田八幡

近所の八幡様まで散歩。
去年も写したような。

今年はPENTAX-M 50mm f2を付けて散歩に出た。
もう、かなり前、錦糸町のヒカリカメラで千円で買ったものだ。
MZ-5にボディキャップ代わりに付けてある。
しかし、F2と欲張らない設計のためなのか結構よく写るのである。
キャプションのない写真は全てこのレンズだ。

10年くらい前、デジタル一眼を買う前、MZ-5に古いレンズを付けてあそんでいた。
その頃にゲットしたものだ。全く、本当にお得なレンズだった。

錦糸町のヒカリカメラは秋葉原に移転し、その後閉店してしまったという。
以前は松戸にも支店があり、大学院生の頃は、学校からの帰り道にあったのでしょっちゅう覗いていた。購入したものは「チョートクのカメラジャーナル」だけだったが。

デジタル全盛で、フィルムカメラがほぼ駆逐されてしまった現在では、中古カメラ店の生き残りは難しい。私の巡回する店もなくなってしまったところが多い。
残念である。


PENTAX K-x smc PENTAX-M 50mm f2













これはPENTAX DA 70mm f2.4 Limited

DA 70mm f2.4

レンズ同上





2015年1月1日木曜日

風街ろまん

12月30日 NHK BSではっぴいえんどの番組をやっていた。
大瀧詠一が亡くなってちょうど1年である。

番組では、彼らのセカンドアルバム「風街ろまん」に焦点を当てて紹介していた。
佐野史郎と高田漣、それから星野源が解説役をしていたが、高田漣も星野源もはっぴいえんどが活動していた頃にはまだこの世に誕生していない。



このアルバムが「名盤」になったのは、松本隆が作詞家で売れっ子になり、細野晴臣がYMOで有名になり、大瀧詠一がロングバケイションでミリオンを記録し、その後はっぴいえんどが見直された結果なのだ。

佐野史郎も全く同じことを言っていたが、「はっぴいえんど」と言ってもクラスの誰も知らない頃、この音楽が理解できたのは誇りであった。私の同級生では当時(解散直後)2,3名しか知らなかった。

高校生から浪人時代にかけて、はっぴいえんど系の音楽をたくさん聴いたけれど、ワシがちゃんと歌えるのは細野晴臣の歌だけだった。音域がぴったりなのである。大瀧詠一にしても鈴木茂にしても高すぎて歌えない。
「三時の子守歌」はギターを弾きながらよく歌ったものだ。これは「トロピカル・ダンディ」に入っていた。


だいたいロックの歌手はみんな声が高い。
高い声でシャウトすると、周りの楽器に埋もれないんだそうである。
だから音域の低いワシには歌えない。歌いたかったのだが。イヤ、今でも歌えたら歌いたいのである。
ワシはブルーグラスを始めてからずっと低音部担当である。ブルーグラスでは「バリトンボーカル」と呼んでいるが、これにはそれなりに自信を持っている。
音域の低い細野晴臣も、ワシと全く同じように悩んだらしい。

その細野が、ジェームス・テイラーをきいて「これだっ」と思ったという。その話は以前ニュー・ミュージックマガジンか何かで読んだことがあった。
番組ではsweet baby jamesを流していた。この曲は、私にとってはseldom sceneの曲なんだが、そうかジェームス・テイラーの曲だったんだ。

「風をあつめて」が生まれるまでの話はとってもおもしろかった。
「手紙」という、「ゆでめん」の時にボツにした歌がもとになっているという。
「手紙」は音源を持っていて聞いたことはある。
細野さんは「何もかも嫌い」と言っていたが・・・。
松本隆によれば「風をあつめて」という言葉以外全てボツにしたのだそうだ。

あの頃、あれだけ聞いたのに、今まで細野さんのボーカルが「ダブルトラック」だとは意識していなかった。
ユニゾンで2トラックに録音する、ビートルズがやっていた手法である。
一部分ハモっているところもあるのだが。


「風街」というのは、すでに失われてしまった東京の風景、当時の少年たちの記憶の中にだけある町なんだそうだ。
松本隆は港区青山、細野晴臣は港区白金の出身だ。

ワシは住んでたわけではないが、母の出身地だったので、青山には子供の頃によく行った。
小学校高学年になるとひとりで「国電」に乗り、信濃町で降り、10番の都電に乗って祖母の家まででかけた。
ひとりで泊まりに行ったこともあった。
従兄弟たちと神宮球場(第2球場)にもぐり込んで(子供は柵の下からもぐれたのだ)、ただで高校野球を見たり・・・

毎年、青山の家には正月2日に集まって新年会をしていた。
「みちおじちゃん」がダジャレを連発していたあの新年会だ。
お年玉をもらうとすぐに青山通り沿いのおもちゃ屋にみんなで行くのだった。
ピーコックの反対側あたりだったような気がする。

そんなわけでワシは、まだ「おしゃれな町」と呼ばれる前、ベルコモンズもできていない、「キラー通り」という名前もまだない青山の風景をそれなりに濃厚に記憶しているのだ。
だから、何となく「風街」の風景が浮かぶ。
しかし、ベルコモンズが閉店したというのは年齢を感じざるを得ない・・・


「風街ろまん」の中ジャケは都電の風景だ。
松本隆たっての希望でイラストレーターに書いてもらったそうだ。
ワシも都電の走る風景を結構鮮明に記憶している。
信濃町から青山に行くのもそうだが、青山から御茶ノ水に出たこともあった。あれはどう通っていったのかな。赤坂見附から三宅坂に出て靖国神社に出ていたんだろうか?きっとそうだ。
だとすれば、細野さんが言ってた赤坂見附の都電の風景も見ていたんだろうな。覚えてないけど。
赤坂見附は谷の底なので、長いレンズでねらうと絵になりそうだ。きっとそんな風景なんだろう。

鈴木茂の「花いちもんめ」で
「右手の煙突は黄色い煙を吐き、左手の煙突は赤い煙を吐く」と歌っているのは
「細野さんと大瀧さんが仲悪くなっちゃって困っている松本隆」なんだそうな。
知らなかったなあ。

「風街ろまん」を録音中、大瀧詠一は「大手レコード会社からソロデビューが決まった」と言っていたが、キングレコード(ベルウッド)の「大瀧詠一」のことだね。これは持っていない。

昨年は「大瀧詠一を勝手に偲ぶ会」をやったが、今年はひとりで「はっぴいえんど」を聞くとするか。

「はっぴいえんど」好きにはたまらない番組であった。ありがとうNHK。




Full House

久しぶりに家族が揃ったので食事をしに行くことになった。
娘の内定祝いということもある。
しかし、まあ、店が決まらないこと、決まらないこと。ああでもない、こうでもない。。。
ホテルのブッフェはどこも満員だ。世の中やっぱり景気がいいのか。
結局、そう遠くに出かけることもなく、OREAJIに行くことになった。
ランチはとっても美味しかったが、運転手の私はワインもビールも飲めなかったのが残念だ。キリンフリーで我慢した。

店に入った時から音楽が気になった。
ジャズ、それも昔しょっちゅう聞いてたレコード。なんだっけ、これ?
思い出すのに2、3分。
ああ、wes montgomeryじゃないの。フルハウスだ。
というわけで久しぶりにすごく聞きたくなった。



昔聞いていたテープがあるはずと、家に帰ってから探したんだけど見あたらない。
テープは一部を残してあらかた捨てた。デジタル化出来るものはしたはずだけど、これはしていない。
おかしいなあ、おかしいなあと思うことしばし、CDの棚を見ると、あるじゃないのfull houseが。
買ったことをすっかり忘れている。
昔聞いていたテープがどんなケースに入れてあったかも覚えているというのに。

ケースは「FMレコパル」を買うと中に付いていたカセットケースのラベルに、インスタントレタリングで「FULL HOUSE」と書いたヤツだ。インスタントレタリングなんて、もう、死語かも知れないけど、あの頃はカセットのケースにシコシコ転写していたものだ。そういえば、大学院生になった頃TeX(LaTeX)を入手した目的は、数式をきれいに書いてゼミのレジュメを作ることと、最終的には修士論文を書くことだったけれど、カセットのラベルもせっせと作ったものである。

昔のことはよく覚えていて、最近のことはすぐ忘れてしまう。ワシも立派に老人力がついてきたということか。
先日も、わずか2週間前にマクドナルドのカードを使ったことを完全に忘れてしまい、かみさんに呆れられたところだ。

このレコードは、大学生の頃、マンドリンの天才、藤原君に貸してもらい、録音したものだ。ほかにもWesのレコードを貸してもらった。彼は今、どこで何をしているのだろうか。やっぱり北海道にいるんだろうな。


ま、ともかく、Wes Montgomeryとビル・エヴァンスをPCに取り込んでiPhoneに転送。
大晦日の昼過ぎ、実家に行く車の中でフルハウスを堪能した。
やっぱり、すごい。