2013年12月30日月曜日

2年ぶりのガン検診

2年ぶりにガン検診に行ってきた。
昨年は、脳ドックに行った。
これから、1年おきにガン検診と脳ドックに行こうと思うのだが、ガン検診は辛い。

検診は「一般+前立腺」というメニューで、これの募集人数が一番多い。
大腸ファイバー、胃カメラ、肺のヘリカルCT、前立腺(腫瘍マーカー)という内容である。
辛いのは、大腸ファイバーだ。一昨年も書いている

前回と違うのは、二日連続と言うことであった。
1日目は大腸ガン検診。その前の日は日曜日である。
朝は素うどん。これは冷凍ものをヒガシマルうどんスープで食べた。
昼と夜は「クリアスルー」という検査食。結構うまいのだが、昼、夜の2食で300キロカロリーぐらいしかない。腹が減る。

検査食以外に食べてはいけない。水分はいいのだが、乳製品、フルーツ、野菜はダメだ。コーヒーはミルク抜きだ。

日曜日は、ここのところ、実家に行って父の様子を見て、病院に行き母の様子を見るのが日課、いや、週課となっている。実家に行くとついつい饅頭だのせんべいだのを食べてしまう。お茶以外の一切を口にしないのには注意が必要であった。

検診日、朝、病院に着いたのが8時半、下剤を飲み始めたのが10時20分。
検査が始まったのが3時。
おしりにファイバーを突っ込まれ、グリグリやられると、何とも気持ちが悪い。
やっぱり最悪だ。来年も再来年もやりたくない。
結果は、良好であった。
一応私も目視したが、赤いところも、腫瘍らしいところもなかった。
まあ、冷静には見られなかったが。

一昨年の反省から、帰る前に病院のトイレに入り、できる限りガス抜きをした。
その結果、一昨年よりは少しましな状態で帰ることができた。
そのため、私の初任地の様子を観察する程度の余裕ができた。
写真は私の最初の職場で、10年間を過ごしたところである。
今はしゃぶしゃぶやさんの駐車場になってしまった。

かつて私が勤務していた普及所があった場所。
現在は「しゃぶしゃぶどん亭」になっている。

ここでの10年間はいろいろなことがあった。
私の青春である。

翌日は、胃カメラと肺のCTだった。
胃カメラは、前回同様鼻から入れるヤツだ。
前回、右の鼻の穴からは入らず、左から入れた。
今回は、あらかじめその説明をしたのだが、なぜか最初に右から入れられた。
でもダメだった。だから言ったのに。

胃も、さしたる異常はなかった。
とりあえず、ありがたいこっちゃ。

来年は、かなり厳しい年になりそうな予測がある。
父や母のケアをしながら乗り切れるのか、相当不安だ。

ま、頑張るしかないのか?




2013年12月28日土曜日

2013年暮

全くいつから更新してないんだか・・・
全然わからないくらい久しぶりである。

この夏から冬まで、まあ、いろいろあった。
母は、期限の3ヶ月が来る頃退院させられることになり、9月はじめに葛飾区内の診療所に転院した。



そこは、今までの快適(そうな)病院とは大違いの、やや暗く、古~い診療所であった。
看護師さん達は、活気があり、その意味ではよかった。
しかし、風呂もなく、ごくまれにシャワーを浴びるのがせいぜい。普段は体を清拭してもらうだけであり、ほとんどの時間をベッドの上で寝るような生活になってしまった。

週3回の透析に向かう際、車いすに乗るだけで、それ以外はベッドに寝ている生活。そのせいか、妙なことを言うことが多くなった。

「あら、あんた、捕まえた?小鳥?」
「は?」

「さっき、えっちゃんが、釣り竿もって釣りに行ったのよ。あの人にあんな趣味があったなんて知らなかったねぇ」
てな具合である。

食事をしているとき、左手を全く使わないので
「そっちの手も使いなよ」というと
「だって、ネコがいるんだもん」
「え?どこに?」
「ここ」といって左手のところを指す。

市川の病院を退院する際、基本的にはその病院の療養型病床を希望していた。
しかし、工事中で、療養型病床から透析室までが安全に移動できないために、葛飾区の診療所に転院したのであった。そこで、10月の終わりに病院のソーシャルワーカーに療養型病床への転院について問い合わせてみた。

11月末、もとの病院の療養型病床に転院することになった。
日程でもめた。
一度決めた日程が、2転3転した。
仕事中の調整は結構ストレスがあった。
とにもかくにも、もとの病院に戻ることができた。
本人は家に帰りたかったようである。
しかし、歩行不能な透析患者を家に戻すのは簡単ではない。
兄弟の誰かが仕事を辞めなければ不可能である。

現在、母は変なことを言う回数も減ってきた。
それだけ、ストレスが減ったのかも知れない。
辻褄の合わない話も出るが、「小鳥」の話や「釣り」の話は出ない。
さすが、費用がかさむだけあって、効果はあるようだ。
キレイな風呂には感激していたようだし。


年末は、外泊許可をもらい、家に連れて帰ってくる予定である。
さて、どうなるか・・・