くも膜下出血で倒れて18日、とうとう息を引き取ってしまった。
52歳、あまりにも早すぎる。
ヤツとの思い出は、ほとんど喫煙・飲酒、それからバンドだ。
小田嶋隆が「ア・ピース・オブ・警句」に「私が高校生だった当時、喫煙の習慣は、現在の状況からは考えられないほど、高校生の間でも半ば常識として蔓延していた」と書いていたが、我が高校でも同様だった。小田嶋氏は2割程度が常習的喫煙者といっていたが、同じようなものか。土曜日、正門の近くにある「友楽」のもやしそばを食べに行くと、食後、上級生の何人もが店の裏へ消えていった。みんな食後の一服をしていたのだった。それが日常の光景であった。
Nに肩車されるワシ 1975年 |
その中でも、Nはとりわけ運のいい男だった。いや、カンがよかったと言った方がいいかもしれない。1年生の時、何かの行事で教室から体育館(?あるいは他の教室)へ移動しなければならないことがあった。男子の多くが「かったりぃ、行くのやめようぜ」と行って教室に残っていた。ワシとNは喫煙に行った。その間に、教室に残った連中は教師に見つかり、正座させられる羽目になった。
また別の日、2年生か3年生の頃だったと思う・・・、数人でアマチュア無線の部室にいた。ワシが「吸おうぜ」というと、Nは「いや、今はやめた方がいい」と言った。そのほんの少し後、教師が入ってきたのである。ワシは「こいつといればぜったい捕まらない」と確信したものである。
その彼が、今度ばかりは運に見放されてしまった。なんということだろう。
今頃あの世で、好きだった寺内タケシでも弾いているのだろうか。
高校3年間、文化祭では彼と一緒にバンドをやっていた。「一緒に」と言ってもNのワンマンバンド。我々はみんなサポートメンバー。でも、バンドにおける「イロハのイ」はあそこで学んだ。
もう一度一緒にやってみたかった。
本当に残念である。
昔は(見ないふり)でうまく廻っていたんでしょうね。
返信削除いい時代でした。
N君のご冥福お祈り申し上げます。
本当にいい時代でした。
返信削除というか、今の世の中がとげとげしすぎるんですよね、きっと。余裕を取り戻したいものです。