2013年12月30日月曜日

2年ぶりのガン検診

2年ぶりにガン検診に行ってきた。
昨年は、脳ドックに行った。
これから、1年おきにガン検診と脳ドックに行こうと思うのだが、ガン検診は辛い。

検診は「一般+前立腺」というメニューで、これの募集人数が一番多い。
大腸ファイバー、胃カメラ、肺のヘリカルCT、前立腺(腫瘍マーカー)という内容である。
辛いのは、大腸ファイバーだ。一昨年も書いている

前回と違うのは、二日連続と言うことであった。
1日目は大腸ガン検診。その前の日は日曜日である。
朝は素うどん。これは冷凍ものをヒガシマルうどんスープで食べた。
昼と夜は「クリアスルー」という検査食。結構うまいのだが、昼、夜の2食で300キロカロリーぐらいしかない。腹が減る。

検査食以外に食べてはいけない。水分はいいのだが、乳製品、フルーツ、野菜はダメだ。コーヒーはミルク抜きだ。

日曜日は、ここのところ、実家に行って父の様子を見て、病院に行き母の様子を見るのが日課、いや、週課となっている。実家に行くとついつい饅頭だのせんべいだのを食べてしまう。お茶以外の一切を口にしないのには注意が必要であった。

検診日、朝、病院に着いたのが8時半、下剤を飲み始めたのが10時20分。
検査が始まったのが3時。
おしりにファイバーを突っ込まれ、グリグリやられると、何とも気持ちが悪い。
やっぱり最悪だ。来年も再来年もやりたくない。
結果は、良好であった。
一応私も目視したが、赤いところも、腫瘍らしいところもなかった。
まあ、冷静には見られなかったが。

一昨年の反省から、帰る前に病院のトイレに入り、できる限りガス抜きをした。
その結果、一昨年よりは少しましな状態で帰ることができた。
そのため、私の初任地の様子を観察する程度の余裕ができた。
写真は私の最初の職場で、10年間を過ごしたところである。
今はしゃぶしゃぶやさんの駐車場になってしまった。

かつて私が勤務していた普及所があった場所。
現在は「しゃぶしゃぶどん亭」になっている。

ここでの10年間はいろいろなことがあった。
私の青春である。

翌日は、胃カメラと肺のCTだった。
胃カメラは、前回同様鼻から入れるヤツだ。
前回、右の鼻の穴からは入らず、左から入れた。
今回は、あらかじめその説明をしたのだが、なぜか最初に右から入れられた。
でもダメだった。だから言ったのに。

胃も、さしたる異常はなかった。
とりあえず、ありがたいこっちゃ。

来年は、かなり厳しい年になりそうな予測がある。
父や母のケアをしながら乗り切れるのか、相当不安だ。

ま、頑張るしかないのか?




2013年12月28日土曜日

2013年暮

全くいつから更新してないんだか・・・
全然わからないくらい久しぶりである。

この夏から冬まで、まあ、いろいろあった。
母は、期限の3ヶ月が来る頃退院させられることになり、9月はじめに葛飾区内の診療所に転院した。



そこは、今までの快適(そうな)病院とは大違いの、やや暗く、古~い診療所であった。
看護師さん達は、活気があり、その意味ではよかった。
しかし、風呂もなく、ごくまれにシャワーを浴びるのがせいぜい。普段は体を清拭してもらうだけであり、ほとんどの時間をベッドの上で寝るような生活になってしまった。

週3回の透析に向かう際、車いすに乗るだけで、それ以外はベッドに寝ている生活。そのせいか、妙なことを言うことが多くなった。

「あら、あんた、捕まえた?小鳥?」
「は?」

「さっき、えっちゃんが、釣り竿もって釣りに行ったのよ。あの人にあんな趣味があったなんて知らなかったねぇ」
てな具合である。

食事をしているとき、左手を全く使わないので
「そっちの手も使いなよ」というと
「だって、ネコがいるんだもん」
「え?どこに?」
「ここ」といって左手のところを指す。

市川の病院を退院する際、基本的にはその病院の療養型病床を希望していた。
しかし、工事中で、療養型病床から透析室までが安全に移動できないために、葛飾区の診療所に転院したのであった。そこで、10月の終わりに病院のソーシャルワーカーに療養型病床への転院について問い合わせてみた。

11月末、もとの病院の療養型病床に転院することになった。
日程でもめた。
一度決めた日程が、2転3転した。
仕事中の調整は結構ストレスがあった。
とにもかくにも、もとの病院に戻ることができた。
本人は家に帰りたかったようである。
しかし、歩行不能な透析患者を家に戻すのは簡単ではない。
兄弟の誰かが仕事を辞めなければ不可能である。

現在、母は変なことを言う回数も減ってきた。
それだけ、ストレスが減ったのかも知れない。
辻褄の合わない話も出るが、「小鳥」の話や「釣り」の話は出ない。
さすが、費用がかさむだけあって、効果はあるようだ。
キレイな風呂には感激していたようだし。


年末は、外泊許可をもらい、家に連れて帰ってくる予定である。
さて、どうなるか・・・





2013年8月11日日曜日

盆休み直前の国府台

本日も母の見舞いだ。

今日から帰省あるいは行楽という人が多いのか、それとも盆休み前に仕事を片付けるのか、ともかく、メチャクチャ道が混んでいた。
おまけに気温は37℃まで上がり、表に出るとクラクラする。40℃を超えた地点もいくつかあったと報道されている。実家ではエアコンをぶんぶん回しても34℃から下がらない。
今年の夏は暑さでも、雨の激しさでも記録に残るのではないか。

市川と松戸をつなぐ県道1号線。とにかくいつも混んでいる。
学生時代、大学への通学では決して使わなかった。


栗山浄水場。今日はよく見える位置で、信号待ちをしたので、iphoneでパチリ。

もうすぐ母は退院になる。
しかし、歩くことはできない。せいぜい人に支えられて1m。
このまま家に帰るわけにはいかないであろう。

なかなかどうして困った問題である。



2013年8月8日木曜日

「風立ちぬ」 そして 「夕凪の街 桜の国」

先日、「風立ちぬ」を見てきた。
賛否両論あるようだが、私の感想は「うーむ・・・」という感じだった。
宮崎監督は直截な表現がイヤなのかも知れないが、ラストを迎えたとき「え、これでおしまい?」と思ったのも事実。私が単純なだけなのか、ものを知らないだけなのか・・・。

別に零戦の絵がもっと欲しいとか、戦闘シーンが欲しいとかではないけれど、あれではワシより戦争を知らない人々にどう受け取られるのかと考えてしまった。
もう一回見た方がいいかな?
数年後、どのように評価が定まっているかが楽しみではある。

戦争をテーマとした映画では、数年前に見た「夕凪の街 桜の国」は良かった。
こちらも戦闘シーンは一切なし。だが、原爆の悲惨さを見事に描いていた。
原爆症で切なく死んでゆく麻生久美子が良かった。
その弟(堺正章)の娘を演じる田中麗奈、その同級生の中越典子も良かった。
是非見ておくんなさい。
数ヶ月前、バーゲンでDVDを買ってしまった。




実は、ワシも原爆には無関係ではない。

1999年に100歳で亡くなったワシの母方の祖母がいた。
なかなか厳しい人であった。東京は谷中の出身で医者の一家であった。
その兄角尾晋は、当時長崎医科大学の学長であった。
その晋おじさん(註:もちろん母のいい方)が、原爆のほとんど直撃を受けて亡くなっているのだ。

子供の頃、母に何遍も聞かされたことだが、東京出張中だった「晋おじさん」は、帰路、広島で(原爆被害により)鉄道が不通のため、広島を徒歩で横断し、長崎へ帰った。

8月9日の午前は、爆心からわずか数百メートルの病院で回診中、真後ろからまともに熱線を浴びてしまったという。

「あのとき広島で引き返してればねぇ」と、母の話はいつもそこで終わったものであった。


われわれの世代は、両親から生々しい戦争の話を聞くことができた。
しかし、終戦時23歳の若者だった父は91歳。19歳の乙女だった?母は87歳である。
戦争体験者の話を聞けるのもそう長くはない。
体験者の生々しい話が聞けなくなると、感覚的に伝わることは減っていくのは必然である。
どう伝えていくべきなのか、それをわれわれが考えなければならない。


2013年7月15日月曜日

母の入院

87歳の母が入院している。

人工透析をするようになってからもう10年以上になる。
透析の大変さは前にも書いたことがあった。あの雪の日は本当にハラハラした。
週に3日の透析は、だいたい4時間くらいかかる。うちの母は他にも膝痛で通院していたので、ほとんど毎日が病院通いで終わってしまう。

5月の後半から頭が痛いと言っており、脳神経外科に行くとかいっていたのだが、ある日、透析をしていると先生が首をみて「これ帯状疱疹じゃないか」と言ったという。
そして、系列の大学病院の皮膚科を紹介され、外来を訪れると、やはり帯状疱疹であり、透析もあるので「入院しましょう」ということになった。そして、頭痛の原因はどうも帯状疱疹らしかった。
6月のはじめに入院し、1週間ほどで軽快、退院した。

退院して3日ほど経って、透析に向かおうとすると膝が痛くて動けない。
どうにか病院まで行ったが、帰りには全く歩くことができず、透析クリニックの運転手が背負って家まで運び入れてくれたという。

しかし、父も母も子供にはヘルプコールをしないのだ。自分からは。
土曜日の昼、たまたま実家に電話した姉が状況を知り、我が家に電話してきた。

とりあえず実家に行き母がキチンと寝られる場所をどうにか整備した。
しかし、全く歩くことができず、トイレにも行けない。
1回、背負ってトイレまで運んだが、重い重い。
母は、介護保険では「要支援2」である。これはもっとも軽い階級だ。
まあ、今までは頑張れば自力で、あるいは父の力を借りて何でもしてきた。
そのため、認定はされているものの、介護サービスは全く受けてこなかった。

しかし、今はそんなことはいっていられない。
認定の時に世話になった事業所に電話し、とりあえずポータブルトイレだけでも何とかならないか聞いてみる。すると、すぐに福祉用具を販売する事業所に連絡をとってくれ、その日のうちにトイレは入手することができた。
本当にありがたかった。

日曜日、兄弟全員が集まり、鳩首協議。
「明日は透析だ。このままでは絶対に行くことはできない。どうしよう」
「1階に寝てれば、透析の運転手が何とかしてくれるよ」と父が楽観的なことを言う。というか、息子や娘たちに迷惑をかけまいと、楽観的に装っているようにしか見えなかった。
しかし、歩けない母を連れて行くのは運転手の仕事ではない。

もし、明日何とかなっても、その次はどうする?
結局何の案も浮かばず、救急を要請した。

救急隊には、透析の手術をしたのも前述の大学付属病院であったことから、その病院を希望した。しかし、整形外科の担当医がいないらしく受け入れは叶わなかった。

運ばれた先は「化研病院」という、今まで聞いたことのない病院であった。
あの式場病院(山下清とか欧陽菲菲とかで有名な)の隣である。こんなところにもうひとつ病院があるとは知らなかった。しかも歴史は明治からと古く、明治天皇から下賜された「恩賜館」なる建物もある由緒正しい病院であった。

病院の玄関からみた浄水場の特徴的な屋根。
わが大学の教室からよく見たものだ

処置に当たった先生は、膝をみて、「ずいぶん腫れているな」といい、シリンジを使い中の「水」を抜いた。やや黄色がかった、白濁した「水」が数十cc取れた。

「これ、培養ね」と言った。

これまで、事態をどう打開するかばかり考えていて、どうして母の膝が使えなくなったのかは全く考えていなかった。先生が言うには「関節炎」だという。そして、培養で炎症の原因になった菌を特定するのだという。

10日以上経って、培養の結果を聞いた。
結核菌などのヤバイ菌は出なかったようだ。
入院したとき、軽い肺炎を起こしていたようだが、その菌が体に回り、膝と踵で繁殖してしまったようだという。(踵も痛かったのだ)そして、肺の水、膝の水、踵の傷の3カ所から採取したサンプルを培養した結果、全て同じ菌が出たという。

足の屈伸をする装具。角度を入力すると自動的に曲げ伸ばしをしてくれる。
1ヶ月も足を十分動かしていないと固着してしまう。それを防ぐのだ。
なんだかんだで、明日で丸1ヶ月の入院になる。
母は、リハビリの結果、立つところまではいった。しかし、歩くまでには相当の時間を要するであろう。本人のやる気が出なければ、もう歩くことができないかも知れない。
透析患者であることを考えると、もう、家に帰るのは現実的でないのかも知れない。
非常に悩み多き現在である。

しかし、化研病院は説明もしっかりしているし、原因もきっちり究明しようとするし、なかなかいい病院という印象を持っている。こういう病院にたまたま入院できたのは不幸中の幸いであった。



2013年7月1日月曜日

オオガハス

我が社にはオオガハスがある。

オオガハスは、その昔東大の検見川農場で2000年前の地層から発見された種子で咲いた古代の蓮である。

大賀博士が蓮を咲かせた翌年、我が社に種子が分譲されたらしい。
今では、我が社の顔とでも言える場所に6月頃になったら咲く。
なかなかにキレイである。

さて、我が社はどこでしょう?

考えてみたらiphoneにしてから初めてブログに写真を載っけた。
iphoneのカメラはリッパである。htc Ariaとは雲泥の差である。






2013年4月29日月曜日

Crooked Still

Crooked Still というバンドがある。
ジャンルはalternative Bluegrass というジャンルになるそうである。
若手のバンドだが、楽器構成が少し変わっていて、バンジョー、ベース、フィドル、そしてチェロが入る。ギターは必ず入っているわけではない。ギターのいないブルーグラスバンドなんて普通はない。

実はつい最近まで知らなかった。ある方がfacebookで取り上げているのを見てCDを買ってみたのだ。
このCDを買ってみた。

このCDを買ってみたのは、ジャケットがいいデザインだったのと、曲の中に"oxford town"が入っていたからだ。

"oxford town"は初期のBob Dylanの曲で、高校1年生の頃よく聞いていた。「風に吹かれて」と同じ”Free Wheelin' "というアルバムに入っていた、プロテスト色の強い歌である。「風に吹かれて」はあまたのシンガーに歌われてきたし、ディランの曲はそのほかにも他のミュージシャンにカバーされている曲は多い。例えば、ミスター・タンブリンマンとか、Knockin' on Heaven's Doorとか、いろいろあるだろう。でも、オックスフォードタウンをやっている人は見たことがない。

Crooked Stillのオックスフォードタウンは疾走している。
ブルーグラスには疾走感(ドライブ感)はつきものである。
しかし、この曲のドライブ感はチェロとバンジョーによってもたらされている。
ヒジョーにおもしろい。

このほかにも、ビル・モンローのCan't you hear me callin'のようなブルーグラス・スタンダードもあれば、ロバート・ジョンソンのブルースもある。

とってもいい買い物をした。
別のCDも買ってみたい。


2013年4月27日土曜日

花盛り

いやー、いったいいつから更新してないのだろうか?
前に書いたのは3月?

今年も異動になり、もとの研究室に戻り親分になった。
一研究員の時と違い、調整業務など、まあ、いろいろと忙しい。

3月末の桜の時期にも写真だけは撮ったのだが、それ以上のことをするパワーは生まれなかった。何となくブログを放置する今日この頃である。

5月も近くなりウチの周りにナガミヒナゲシが咲き出した。
名前はさっき調べた。前にも一度調べたが覚えられない。
「オレンジ色のポピーのような花」と言っている。
ケシの仲間だけれど、麻薬にはならないそうだ。当たり前だが。

ナガミヒナゲシ。いつの間にかウチにも種が飛んできて定着した。



つぼみはこんな感じ。メイプルソープの写真を思い出す。メイプルソープはもっとエロティックだけど。

捨てた土の中からチューリップも咲いた。

数年間放置した寄せ植え。寒さに強いミニシクラメンも、この冬は寒すぎたようで、一度死にかけたが復活したようだ。

2013年2月18日月曜日

KALA Ubassの弦交換

ちょっと前の話だが、KALA U-bassの弦を交換した。
ワース・クリエイションのライト弦である。

弦そのものは、何のことはない駆動用のベルトである。
機械について少し知ってる人なら見たことがあるかも知れない。バンドー化学のバンコードというものらしい。

我が実家は、かつて機械工場であった。
そのためプーリーというものは日常的に見ていたし、このベルトのようなものも見た記憶がある。
このオレンジ色は絶対に、かつて見たことがあると思うのだ。

だったら長いベルトを買って自分で切ればいいじゃん、と思う。
しかし、終端の処理が難しいようだ。

前のKALAの弦は、表面にでこぼこがあったりしたが、これはまん丸のツルツル。
さすがMade in Japan という感じである。
弦の手触りはKALA弦の方がいい感じもするが。

オレンジ色の弦は目立つ。ハワイアンらしくていいと、ある先輩に言われた。

1弦、2弦は巻いても巻いても、どんどん伸びる。お陰でこんな具合に。
ある程度伸びきるまで、カットするのは危険なので、しばらくはこんな状態である。

2013年2月12日火曜日

解決! DVD問題

DVDの問題が解決した。
やはり、DVDが動かなかったのはビデオカードがショボかったためであった。

うちから一番近くのPCパーツが買える場所はPCDEPOTだ。
車で10分ちょいのPCDEPOTに行き、ビデオカード売り場を見る。
売っているのは「玄人志向」ばっかり。
「玄人志向」は、別名「苦労と試行」と言われるように、あまり印象が良くない。

しかし、他にないんだから仕方がない。
マザーが5年も前のものだし、ゲームもやらないので最低ランクのものを見る。
nvidiaかATIかでチト迷ったが、ファンレスだったこともありATIのGPUが乗ったRH5450-LE512HD/D3/HS/G2を手に取る。
店内のPCでkakaku.comの評価を見た。おおむね良好。
ふと、最安価格を見ると2460円。手に取った商品は3280円。ずいぶん違うぞ。
最安価格の店を見ると、なんとPCDEPOTではないか。
そこで、お店の人に言ってみる。
「あのう、お宅の店の通販で2460円で売ってるんですけど・・・」
すると、
「会員登録をして、店舗で受け取りとして注文してもらうとその価格で売れるんですが」
だって。

そこで、店内のPCで注文し、最安価格でゲット。

家に帰り、早速取り付けてみる。
windows8のエクスペリエンスインデックスで評価したら、今まで2だったグラフィックスが3.5に。
しかし、最低点であることに変わりはない。こりゃダメだったか・・・

DVDを入れてWindows Media Centerを起動する。
映った。
メディアプレーヤークラッシックでもOK。
やはり、ビデオカードのせいだった。


DVDはボブ・ディランの「ノー・ディレクション・ホーム」。
メチャクチャおもしろい映画である。

一件落着。

2013年2月10日日曜日

Windows8!!

OSをwindows8に替えた。
デスクトップとノートの2台である。

どちらもwindowsXPで、安定しており、その状態をあえて変えたくはなかった。
しかし、XPのサポート期間はあと1年と少し・・・。1月いっぱいまではwindows8のダウンロード版がたったの3,300円で買える。破格の価格である。windows始まって以来の価格設定では無かろうか。いや、MS-DOS時代にもそんなに安かったことはないのではないか。

かなり悩んだ。
せっかくインストールするのならば、クリーンインストールがいいのではないか。
windows95でも98でも2000でもクリーンインストールしてきた。
不安定さを引きずりたくないから。
どうせ8にするのならば、64bitにしたい。あえて32bitを選ぶメリットはない。
しかしアップグレードでは32bitしか選べない。

結局、安さに負けてアップグレードすることにした。

作業はあっけないものであった。
ダウンロードして、実行して言うままにしていたら1時間ぐらいで済んでしまった。
かつてのインストールでは、必ず1カ所は引っかかって、しばし途方に暮れることがあった。
昔のことを考えるとwindows8のアップグレードはものすごく良くできていると思う。
個人の様々な情報もうまく引き継げる。
スタート画面。タブレット以外にはこんなのは不要である。
なぜ、なくせないのか?

デスクトップ。スタートボタンがない。しばしボーゼンとした。

困ったことはあまり多くなかった。
デスクトップのほうは、まず、音が鳴らなかった。
このパソコンにはEDIROLのUA-3FXというusb経由のオーディオインターフェイスがつないであり、そこから音を出すようにしていた。しかし、標準でドライバは入っていないらしい。
ローランドのサイトにもドライバはなく、windows8に対応する気はないようである。
windows7には対応しているが、そのドライバを使おうとするとOSにはねられてしまう。

しばし、ググる。
「infファイルを書き換えて、windows8用のドライバであるとOSをだます」ことで使っている人がいることを知る。
infファイルのwindowsのバージョンの部分を書き換えて(2行だけ)ドライバをインストールすると、あっさり音は出た。

もうひとつ困ったのはDVDが見られないことであった。ワシは、基本的にDVDはパソコンで見る。しかし8では、標準でDVDを見る機能がないのだという。ライセンスの問題でコーデックが入っていないとか。

そこで、これも1月31日まで無料だというwindows media centerのライセンスをもらうことにする。その日は1月30日。ギリで間に合った。

windows media centerをインストールしたが、DVDは見られなかった。
仕方がないので、無料のGOM Playerをインストール。これも見られない。

競合の問題かと思われたため、GOM Player及びMicrosoft以外のコーデックをアンインストールし、メディアセンターを起動した。
しかしこれもダメ。

PCを買ったときに入っていたPower DVDをインストールする。
メニュー画面の手前まで動く。しかし、途中で止まってしまう。

メディアプレーヤークラッシックもダメ。

VLCメディアプレーヤーは動いた。今のところ動くのはこれだけである。
しかし、全画面表示では音声と映像がずれてしまう。

デスクトップパソコンのマザーはAsusのM2A-VM HDMIなのだが、これのオンボードビデオがショボイのではないかと思われる。今度は、ビデオカードでも追加してやろうかと思っている。

ノートパソコンはパナのLet's Note CF-T5だ。
インストール自体は順調にできたが、ホイールパッドのクルクルが使えなくなってしまった。
これは痛い。
パナソニックは、この機種をwindows8に対応させる気がないらしく、ホームページには何の情報もなかった。


Synapticsのサイトから最新のドライバーを落として入れていあるが、うまく動いてはくれない。
たまにクルクルがうまくいくことがあるが、ほとんどフリーズして使えない。


先ほどwindows8 Proの価格を見たら25,800円であった。22,500円もトクしたのか。
2台だから45,000円だ。
まあ、完璧とは言えないけれど、ほぼ満足。

とりあえず、良かった、かな。

2013年1月19日土曜日

積雪は生命の危機?

意外な大雪になってしまった。
2013年1月14日の成人式は大荒れになった。成人式の頃は結構雪が降るような気がする。

12日の土曜日、天気予報では「月曜日は雨。場合によっては雪がまじるかも」程度のことを言っていたので、たいした心配はしていなかった。でも、もしかしたら・・・と思い、ヒマもあったことから、スタッドレスタイヤに替えておいた。

14日は朝から雨がジャンジャン降っていた。
冷たい雨だった。犬の散歩はつらかった。
11時頃になり、雪混じりになってきた。しばらく見ていると、あれよあれよという間に雪になった。

近所の家のスズキスイフト。雪の中でちんまり丸まったネコのようだ。
家のすぐそばにある通称「東金街道」。徳川家康が東金に御鷹狩りに行くために作られた。
まっすぐな道である。三日三晩で作られたと言われている。


14日は月曜日。
月曜日は母の透析の日である。

透析患者は週に3回、欠かさずに透析しなければならない。
サボれば命に関わる。

透析の日は医院から送迎の車が来る。
しかし、雪になると良く止まるのだ。
11時頃、雪が降り始め、心配になって電話をした。
父が言うには、「大丈夫だよ。迎えに来るんだから」
わりと楽観的であった。
結果から言うと、このときにワシが行っていれば問題はなかった。

病院からの迎えは12時過ぎで、我が家の周りではまださほど積もっていないようだったので大丈夫だと思っていた。
しかし、夕方電話をして父に聞いてみると、結局行かなかったのだという。
迎えの車がいつまで待っても来なかったというのだ。

透析患者は透析しなければ命に関わる。翌日確実にしなければならない。
しかし、翌日の朝は冷えが厳しく、雪がかちんこちんに凍っているはずだ。
ワシが仕事を休んで母を送迎してあげたかったのだが、その日は朝イチでどうしてもしなければならない仕事があり、父と母でバスを利用して病院まで行ってもらうしかなかった。
前日からタクシー会社に電話をして予約しようとしたが、受け付けてもらえなかったのも痛かった。

透析の病院は雪が降ってもキチンと送り迎えができるよう、スタッドレスタイヤぐらいは装備して欲しいものだ。命をつないでいるのだから。


今後こんなことが続いたらどうしようか・・・考えると憂鬱になる。
普段は車で30分で通える距離なのだが、このような状況に陥れば何倍にもなる。

父母と離れて暮らすことは、なかなかどうして難しい。


15日の朝、私は車で出勤した。
ノーマルタイヤで凍結した路面を走る強者、もしくは不届きものはそれほど見なかったが、坂道をあがれない車や、スタート時にケツを振る車も何台かは目にした。
勘弁して欲しい。もらい事故が怖い。

全体的には道はがらがらで、高速を使って快調に出勤できた。
スタッドレスタイヤに替えておいて助かった。

2013年1月5日土曜日

ASAKUSA

1月3日 浅草に行ってきた。
3が日に行くのは初めてである。
異常に人が多かった。
みんなが写真を撮っている?!
みんなスカイツリーの写真を撮っていたのだ。


一に浅草、二に観音、三に三定の天ぷら

三定の店内から見た雷門交差点。まさに人だらけ。ものすごい人が浅草寺まで続いている。


わんこも交通整理?(雷門交差点)


マルベル堂







大道芸人「koji koji mohejiさん」










ライカの分解整備で有名な早田カメラ






2013年1月3日木曜日

2013年1月2日 習志野

家のそばにある誉田(こんだ)八幡神社に散歩がてら行ってみた。
最近、改修工事を行っていたのでちょっと気になっていた。
PENTAX k-xにM42アダプタをくっつけて、smcタクマー28mm/f3.5、flektogon 35mm/f2.4、smcタクマー105mm/f2.8のオールドレンズ3本を持って行った。

しかし、結局upしたのは全部flektogonで撮ったものだった。
さすが東独カール・ツァイス。このレンズやっぱ、好きだわ。


フレクトゴン35mm/2.4

真新しい狛犬 フレクトゴン35mm

今年は皇紀2673年なんだそうである。 フレクトゴン35mm

フレクトゴン35mm 本当にいいレンズである。



この神社のすぐそばに、習志野騎兵第一旅団はあった。
第2代の旅団長はあの秋山好古。言わずと知れた坂の上の雲の主人公である。
そして、第21代が栗林忠道、そう、あの「硫黄島からの手紙」の主人公。
これは皇紀2600年記念の参道敷石記念碑。揮毫は栗林忠道少将である。今日初めて知った。