2012年1月20日金曜日

義父のカメラ

この一年間ずいぶんとお別れが多かった。
昨年、2月、同級生のNが亡くなり、5月には叔父、11月の終わりには伯父、そして今日、義父とお別れした。

そういう年齢だと言われればそれまでだが、ずいぶんと続いたものだ。

義父は学者だった。三流研究者の私と違って、かなり高名であった。分野が全く違うのでよくはわからないのだが。

10年ほど前、進行ガンで胃を全摘した。
5年生存率から見て、大丈夫なのだろうかと思ったが、再発もせずに生き延びた。しかも、病院からもらった薬に手をつけずに、だ。ものすごい精神力と、強靱な肉体だと思った。

再びガンに冒されることはなかったが、認知症になってしまった。
意味性認知症と言われるもので、会話が成り立たないのだという。
私は、義父が認知症になってからは会っていなかったのだが、カミさんの話では相当ひどかった。

だんだんと記憶がなくなっていく・・・のかどうかはわからない。記憶があっても言葉にならなかったのかもしれない。言葉と物事との結びつきがなくなっていくのかも知れない。ともかく、自分の頭がおかしくなっていく・・・これは恐怖であったと思う。
特に、ずっと研究者として生きてきたのだから、人よりもその恐怖は大きかったのではないだろうか。
今日でその苦しみからも解放されたというわけだ。

義父は工学部画像工学科の教授だったためか、やたらといろいろなカメラを所有していた。普通の写真好きの人は、NikonならNikon、キヤノンならキヤノン、ライカならライカと系統的にボディやレンズを集める。システムカメラなのだからそれがまっとうな収集の仕方であろう。

だが、義父の所有しているカメラには系統はなかった。世界で初めてTTL露出計を組み込んだトプコンの一眼レフもあったし、ツァイス・イコンのコンテッサもあった。もちろんNikonの一眼レフなんかもあった。しかし、レンズはそれぞれに標準レンズが付いているだけで、望遠、広角なんかをそろえているわけではなかった。

そんなわけで、いろいろなコレクション(とは言い難いが・・・)の中からいくつかのカメラを貸してもらった。

もっとも思い出深いのがキヤノンⅣsbである。ぱっと見はバルナック・ライカそのものであるが、変倍ファインダーになっており、バルナック・ライカよりは使いやすいと思う。発売当時は大変な高級機で、大卒初任給の8倍以上だったらしい。
キヤノンIVsb アベノン28mm f3.5

1988年に子供が生まれ、子供の写真を撮っているうちに再び写真にはまり込んだ私は、このカメラを使って写真を撮りまくった。ライカと同様、「コトリ」という静かな音で切れるシャッターは非常に心地よかった。

しばらくの間、アサヒカメラのコンテスト(ファーストステップ)にも毎月応募していたのだが、1年あまりの間に入選したのは2回だけであった。残念ながら写真を撮る才能はあまりないらしいことがわかった私は、このしばらくあとにあった大学院の入学試験を境にコンテストはやめてしまった。

墓場-Tombstone Blues
キヤノンⅣsb トプコール5cm f1.8 ND4 ネオパン400プレスト
この写真は、1991年3月号に掲載された。タイトルは、ボブ・ディランの曲から拝借し、「墓場-Tombstone Blues」と付けた。コンテストに応募する作品の名は、はっきり言ってずさんなものが多いのだが、このタイトルは秀逸であったと、今でも思っている。

その次に掲載された写真は私の息子を被写体にしたものである。
夢現
Nikon F4 28~85mm f3.5 エクタクローム50HC
この写真は1991年6月号に掲載された。タイトルはちょっとずさんである。思いつかなかったのだろう。しかし、撮影はずいぶんと構想を重ねた記憶があり、オリジナリティはあると思う。

使用したカメラは、当時の最新鋭機であったNikon F4である。

このカメラは当時の私にはとうてい買うことができなかった。ボディだけで1ヶ月分の給料が吹っ飛ぶぐらいだ。安月給で官舎に住み、幼子を抱え、もうひとりの子供が生まれそうな身では、夢のまた夢という感じであったから、このカメラを貸してもらえたときは感激した。ものすごく重たいボディだったが、シャッターのショックが皆無というすごいカメラで、手ぶれの心配はほとんどしなかった。このカメラを使って感じたのは、オプションのストロボなどを使うとき、Nikonというのは本当によくできたシステムを作る会社だと思った。それは、今使っているフィルムスキャナなどを買ったときもそう感じた。トータルで非常によく考えられて居るなあと感心する。

義父と私は、いろいろなことを気軽に話し合うような間柄ではなく、いつも
「これ、貸してあげる。持って行きなさい」
「あ、はい、ありがとうございます」
こんな感じで、そこはかとない緊張が漂っていた。

本当はフレンドリーに写真談義なぞできればよかったのだが・・・。
しかし、貸していただいたカメラのお陰で、思い出は多数記録することができた。

だから、こう言おう。

今日までご苦労さまでした。そしてありがとうございました。
安らかに眠ってください。

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