わしの父は現在93歳。
長崎に生まれ、小学校3年生まで過ごし、その後、朝鮮(当時)は釜山に渡る。
今まで長崎に行ったことがなかった。職場の旅行で平戸に行ったことはあったが、長崎には寄らなかった。我が家のルーツでもあり、一度行ってみたいと思っていた。
グラバー園 |
グラバー園からは長崎港がよく見える。手前はイタリアの豪華客船「コスタ・セレーナ」。 上海からのクルーズだそうな。道理で長崎も中国人観光客がおおいワケだ。 |
プッチーニ像 |
グラバー亭 |
グラバーさん。 |
半旗が掲げられていた。この日は終戦記念日。 |
大浦天主堂。垂直感覚が悪いなあ。右に傾いておる。 |
聖母マリア。なんと美しや。 |
今回の旅の目的は、父の生家の場所を確認すること=ワシのルーツの確認がひとつ。
もうひとつは、母方の祖母の兄。つまり、大伯父の慰霊であった。
大伯父は角尾晋という。
医者だった。
1945年当時は長崎医科大学の学長であった。
広島に原爆が落ちたとき、東京に出張中であった大伯父は、長崎に帰るにあたり、焦土と化した広島を歩いて横断したそうだ。そして、長崎に帰り、8月9日は回診していたところ背後から原爆の直撃を受け、22日に亡くなったそうだ。
長崎医大の門柱。原爆で傾いている。 |
ワシの大伯父。角尾晋博士。1945年8月9日、回診中に原爆の直撃を受ける。 |
ほおのあたりが妹であるワシの祖母によく似ておる。 |
右がワシの祖母。 |
忘れていたが8月15日は旧暦のお盆であり、長崎では精霊流しが行われる。
さだまさしの歌のイメージに反して、ヤケにうるさい。
そこら中で耳をつんざく爆竹の破裂音がする。
「精霊流し」のカラオケで写る静かに灯籠を流すイメージとは大違い。
だいたいこの船は川に流さない。
昔は流したらしいが、明治時代から川に流すことは禁じられているようだ。
精霊流しのため市内各所で交通規制が敷かれていた。
そのため楽しみにしていた稲佐山からの夜景は見ることができなかった。
なんと今日は「精霊流し」の日だった。 |
新地中華街の若い衆。お姉さん色っぽい。近所の中華料理店の店員のみなさんのようだ。 |
地面に落ちているのはみんな爆竹。 |
市内はあちらこちらで規制が敷かれていた。 |
この船はメチャクチャの長さ。こう言うのは町内会などで出すそうだ。 |
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