2014年2月19日水曜日

Bob Dylan と弁当箱

ボブ・ディランが来るのだという。

東京公演は3月31日から4月8日までだそうだ。今年は異動が確定なので行けるわけはない。
異動先はまだ不明。とっても不安な今日この頃なのである。

ディランの初来日は1978年の2月だった。
ワシは2月23日の木曜日にひとりで武道館へ行った・・・ようだ。
日付なんぞ覚えとるわけはない。先ほどチケットを掘り出したからわかったのだ。

下のチケットが初来日公演のもの。ニッポン放送のプレイガイドで買ったようだ。
昔のチケットには味わいがあったなあ。

だけど、その日がM大学の入学試験であったことは忘れない。

その頃のワシは、ほぼ毎日大瀧詠一または山下達郎またははっぴいえんどまたはボブ・ディランまたは・・・を聞いていた。まあ、とにかくディランの大ファンであったのだ。

だから来日公演を逃すわけには行かなかった。しかし、入学試験真っ最中である。浪人の私は落ちるわけにはいかない。結構追い込まれた精神状況にあった。

何日間かあった公演のうち、その日を選んだのはM大学の入学試験があり、武道館に近いという、そんな理由であったと思う。

その日の試験のことは、とくによく覚えてはいない。
ただ、できなかったという感覚は全くなかった。あえて言えば、その大学にだけあった古文が苦手であったということぐらいであろうか。
英語などは簡単であったため、余裕をかまして、30分ぐらい残して出てきてしまったぐらいである。

従って、結果は意外なものであった。
それまでの模擬試験などの結果から、落ちるはずはないと思っていた。

ボブ・ディランのことが頭から離れなかったのは間違いない。
だから英語の試験で余裕をかますようなこともしたのだと思う。
それがいけなかったのか???

武道館の入り口で荷物チェックを受けた。録音器材、カメラのチェックである。
「これは何ですか?」と四角い箱について尋ねられた。
「あ、弁当箱です」と答えた。
何となく、恥ずかしかった。

コンサートでは、ディランが歌うと、ワシも自然に歌が口をついて出てきてしまうような感じで、歌いっぱなしだった。
隣に座っていたおねえさんが、チラチラと白い目でこちらを見ていたが、かまうもんか。

しかし、同時に何かしらけるような気持ちも湧いてきた。
あのディランが白いフリフリのブラウスを着て、女性コーラスをバックに歌っている。
何か違う。「ぼくのディラン」はあんなんじゃない。


その頃からだんだんディランを聞かなくなっていった。
そのあと発表された、Slow Train ComingやSavedなど何枚かアルバムも聴いたが、入れ込むことはできなかった。

あの公演がターニングポイントになってしまったのは間違いがない。

その後、1986年の公演にも聞きに行った。結婚直前のカミさんと、中学時代の友人と一緒に。
バックバンドとして連れてきたトム・ペティ・アンド・ハートブレイカーズはとてもよかった。


今でもディランはたまに聞いている。
しかし、1970年代中頃までのものだけだ。それ以後のものはやっぱりあまり聞く気にはならない。
たまにスコセッシの撮ったNo Direction Homeも見る。あんなにおもしろい映画はない。
上の動画はNo Direction Homeにも入っている64年のニューポート・フォークフェスティバルのものだ。司会は先日亡くなったピート・シーガー。
ピート・シーガーが自分の後継者と目したディランは、この頃から「トピカル・ソング」を歌わなくなり、だんだんと離れていく。
ミスター・タンブリンマンという不思議な歌を横で聴いているピート・シーガーは、何とも言えない様子である。

この頃のディランはとってもおもしろかった。
大人になりきってしまったディランはおもしろくない、ということなのだろうか。


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