アール・スクラッグスが亡くなったから、次はDocだと思っていた。
私にとってもDocはブルーグラスの入り口になった人だ。
Docのギターが好きにならなければ、ブルーグラスをやるようにはならなかったであろう。
最初にコピーしたのは、誰もが弾こうとするBlack Mountain Ragだった。苦労した。
その次にやったのは、Beaumont Ragか・・・クロスピッキングができるようになるまで半年ぐらいかかったっけ・・・。その辺のことはかつて文章にしたことがある。右のリンク「駄文」の一番下にある "Me and My Guitar"がそれだ。
Docはフォーク・ミュージシャンであり、ブルーグラス・ミュージシャンとは言えないであろう。しかし、ブルーグラス・ミュージシャンにはきわめて大きな影響力を持った。あの、天才Clarence Whiteだって、Docがいなければ、もう少し違うアプローチをとったかも知れない。それぐらい大きな影響をClarence にも与えたんだと思う。
ブルーグラス第1世代の人々が次々に亡くなっていく。
あと残っているのはカーリー・セクラーぐらいか。
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