2011年4月30日土曜日

金色のライオン

もう数週間前になるが、岡林信康の「金色のライオン」をレコードからデジタル化した。
このレコードは私にとって思い出深いアルバムなのである。
1973年。私は、中学3年生であった。中学2年生でギターを弾きはじめ、まもなく岡林信康を聞くようになった。しかし、その頃、岡林はすでに表舞台からは去っていて、何故いなくなったのか、今何をしているのかということが私にはわからなかった。

インターネットで検索どころか、コンピュータといえば大型の「電子計算機」しかない時代、「なぜ?」に答えてくれるものは、たまに「新譜ジャーナル」などの雑誌に出る記事だけだった。中学2年生を通して知ることができたのは、1970年に失踪してしまったこと、そして京都府の山奥で農業をやって暮らしていることだけだった。

「金色のライオン」は、初めて発売日を待って買った岡林信康のレコードだった。発売されたまさにその日に手に入れた。しかし、その翌日だったか、郵便で同じレコードが送られてきたのであった。発売日の直前に加藤和彦のラジオ番組のプレゼントに応募し、当たってしまったのだ。まさか、ラジオのプレゼントなど当たるわけがないと思い、発売日にLPを買った私は、2枚のLPを抱えて呆然としてしまった。嬉しいような、悔しいような・・・。結局、1枚はその当時の担任だったアキヤマ先生に売却してしまった。しかも、定価で・・・。今でも先生に会うたびにその話が出る。よほど印象に残る出来事であったのだろう。

「金色のライオン」は、岡林信康の転換点のアルバムだったように思う。それまでのアルバムでは、激しい言葉を自分の外に向かって投げつけてきたのだが、このアルバムでは自分の内面に向き合い、優しい言葉で歌っている。それまでにない明るい感じがする。ちょうど、ボブ・ディランの"New Morning"に似た印象のアルバムである。

アルバムのプロデュースをしたのは、当時、解散寸前の「はっぴいえんど」にいた松本隆だった。全曲ドラムもたたいている。アルバム全てを通して後藤次利のベースが非常にいい。

岡林は私にとって特別な存在である。最近は、というか、もうずいぶん前から岡林はほとんど聞かなくなっているのだが、やっぱり特別なのである。多感な10代の前半、岡林によって反体制を知り、部落差別を知った。そして、それまで考えたこともなかった「農業」の意味を考えるようになった。岡林信康に出会っていなければ、間違いなく今の仕事はしていなかったであろう。

私は、岡林の数あるアルバムの中でもこのアルバムが一番好きだ、たぶん。

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