さて、長崎2日目。
1日目に見る予定だったオランダ坂を朝食前に散歩しに行った。
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朝の散歩。大浦天主堂下電停のあたりから。微妙にブレとる。 |
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にゃんことわんこの飼い主。スナックママ。 |
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旧英国領事館 |
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活水女子大学 |
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見よ、この側溝。石造り。オランダ式側溝と言うらしい。 |
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オランダ坂から孔子廟の屋根を見る。 |
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オランダ坂を下り終わった。朝の散歩おしまい。 |
ホテルを出て、原爆関連の見学に行く。
大伯父には昨日対面してきたので、原爆資料館、爆心地、浦上天主堂に行く。
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長崎原爆資料館。みんな、必ず行った方がいい。世界中の人に見せたい。 |
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平和公園 |
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いわゆる「グラウンド・ゼロ」。この真上で原爆が炸裂した。 |
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爆心地公園にある浦上天主堂遺構。 |
浦上天主堂では、「被爆マリア」を見たかったのだが、残念ながら巡回中であった。
しかしこの教会の真上で原爆を炸裂させ、多くの人間、動物、植物を焼き殺すなんて、クリスチャンの国がやることか!
原爆投下の命令を出した大統領が「本当の人間」という名前だったのは、極めつきの皮肉である。
そして、その指揮を執ったカーチス・ルメイに、わが国は勲章を贈っているのである。
訪れたとき、たまたまコンサートが開かれていた。
長崎大学医学部の若い先生夫婦がデュエットの演奏をされていた。
心が洗われるようだった。
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現在の浦上天主堂 |
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遺構が保存されている |
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あまりにも有名な山王神社の片鳥居 |
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吹き飛ばされた部分 |
さて、旅のもうひとつの目的。ルーツ探しである。
父が小学校3年まで暮らしていたのは、長崎市西山町1丁目80番地だと言っていた。
google地図で調べてみるとそんな場所はどうもないようであった。
そんなわけで、父に描いてもらった地図から現場を探すことに。
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父が書いた地図 |
父が書いた地図は、80年以上前の記憶を絵におこしたものだ。
ここから現実の場所が特定できればたいしたものである。
「西山」という地名と、諏訪神社、西山神社の方角から場所を探してみた。
パソコン上で、諏訪神社と西山神社が同時に見えるようにし、父の書いた地図を回しながら、似たような道路の配置がないかをさがした。
おそらくここであろうというところを見つけた。
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父が書いた地図を逆さまにすると、だいたいこのあたりであろうと見当が付く。現在は西山本町というらしい。 |
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父の地図で「お地蔵」と描いてあったところ。札所だそうである。記憶は正確だ。 |
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ここが父の生家があった場所だ。わがルーツの家と言うことになる。 |
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父の生家の1軒おいてとなり。祖父が仲人をした家だそうだ。 |
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昔、五島の殿様の家があった隣の道は、西山神社の参道であった。 |
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祖父が店をやっていたという場所に建つ家。 |
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帰りに眼鏡橋を見にいった。 |