Mother's not dead, she's only a sleeping
Just patiently waiting for Jesus to come
The birds will be singing while mother is sleeping
They will sing o'er as the grave sinks away
(Bill Monroe)
母が亡くなった。
もう2ヶ月も前の話だ。ブログを書き出したが、どうしても3行以上書けず、そのまま放置してあった。当然ながらすでに葬儀は済ませ、四十九日も半月前に済ませた。
1月13日(火)は、年が明けて初めての長い会議の日であり、ワシが進行役を務めていた。
午前11時過ぎ、病院から電話がかかってきたので、その場をボスに任せ、会議室を出て行き、電話に応答した。
「お母様は透析中に急に血圧が低下したため、中止して病室に戻ってきました。今すぐどうこうと言うことはないと思いますけど、ちょっと危険な状態です。」と看護師長は言った。
その日の会議は大事な会議であり、進行役を務めていたこともあって、すぐに病院には行かず、姉に連絡して託した。
仕事を5時まで行い、病院に直行したが、道が混んでおりおよそ2時間弱もかかってしまった。
姉は午後から休んで父を迎えに行き、病院にいた。
師長が説明してくれたが、今は安定し、モニターの数値もまずまずになったとのことだった。
しかし、血圧は上が85前後とかなり低い。このまま行くと明後日の透析も難しいとのこと。
透析は、朝、透析の先生が判断し、中止もあり得るとのことであった。
透析を何回パスすれば命に関わるのかはよく知らない。しかし、先日、新聞で透析を拒否した患者の話が載っていたが、10日ほどで亡くなったという。だから数日しか持たないのだろう。
その日は、安定したこともあり、帰宅した。
14日になった。
午後4時過ぎになり、姉からメールが入る。
「大分、心拍数が下がり、血圧も下がって、来ていただいた方が良いと婦長さんに言われましたので、来てください」
ボスにレクを入れる必要があったので、手短に済ませ、「もしかするともしかします」と言い残し、病院へ。
病院に着いたのは13日とほぼ同じ6時半過ぎだった。
病院には父、上の姉とダンナ、下の姉がそろっていた。
母は、もうホントに、弱々しく息をしているだけだったが、数値的には昨日と同じような感じであった。
9時を周り、93歳の父も疲れてくるので、そろそろ引き上げようかという話になった。
数値的には昨日とたいして違わないし、安定しているように見えた。
そうこうしていると、看護師さんが「今日はお泊まりになりますよね」という。
「そんな感じなのか?」
父と姉たちは帰り、ワシとカミさんが残った。
10時近くなり、さすがに腹が減ったので、近くのファミレスに行くことになった。
「夢庵」で夕食を摂り、駐車場に出たところで電話が鳴った。
「危険な状態です。すぐに戻って下さい」
病室に戻ると、母はやっとの事で呼吸をしているような感じだった。
血圧は落ち、呼吸数が減り、脈は間延びしてくる。
電話して呼び戻した下の姉と甥が帰ってくる。
脈拍がゼロになる。
「ガンバレ、お母さん」と肩を揺する。
脈拍が復活する。
また、ゼロになる。
こんなことをくり返し、やがて戻らなくなった。
よく、テレビドラマで、モニタの脈拍が平坦になり・・・「ツーーーーー」「ご臨終です」というのがあるが、あれはウソだね。
ま、そんな様子で、母の一生が終わるところを目の前で見ることができた。
親の死に目に会えたのである。 最後は苦しむこともなく、ろうそくの炎が徐々に小さくなるように、だんだん弱って亡くなっていった。だから幸せな最後だったのではないか、と、そう思いたい。
看護師さんが「どうします?みなさんそろってからになさいますか?」という。
何のことだ?と思ったが、たぶん死亡確認のことだと思い「ハイ」といった。
やがて、一番上の姉夫婦と息子、ウチの息子が来て、父がタクシーで駆けつけた。
父は、なんたることか喪服を着ている。「おいおい、早いよ、まだ」。
ここまでかいて、ハア、疲れた。
続きはまた今度・・・あるかな?
とりあえずの記録です。
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