2015年3月22日日曜日

義母も・・・愛犬も・・・

母の忌引きが開けて出勤した日のことである。
忌引きの期間ははっきりいってラクだった。
葬式のことだけを考えていればいい。
このままずっと休んでいられたら・・・。
一体、メールは何通来ているのだろう・・・。
と、不安をかかえながら出勤した。

パソコンの電源を入れ、立ち上がったらメールを見る。
隣の席からK嬢が「ねえ、室長、何通あった?」と、おいらのPCをのぞき込む。
なんと116通!!


「写真撮らせてもらっていいかな」といいながら、後ろでガッツポーズしているのが目に入る。
「何やってるんじゃ、こいつら゛(`ヘ´#) 」

どうやらワシにメールが何通入っているのか賭けているらしかった。ふざけやがって。

116通のメールを読むのに2日かかった。
しかし、返信すべきメール、転送すべきメール、印だけは付けたのだが、多くが抜け落ちており、あとで結構痛い目に遭ってしまった。

全くメールっつうのは・・・ここまで来ると便利な道具などではない。暴力である。




そして3月。

母が亡くなって2ヶ月。
四十九日が終わったばかりなのに、今度は義母が亡くなってしまった。

過去1年間に近親者で4人。
まいっちゃうなあ。


そして4月を迎えた。

愛犬の「ハナ」がとうとう逝ってしまった。
17歳と半年。よく生きたもんだ。
これは2月。まだちゃんと立っている。
しかし、粗相をするので犬用おむつをしている。

こんな風に尻餅をつくことが多くなった。
亡くなる一週間前、とうとう足が立たなくなった。


死亡当日。みんなが仕事に行っている間になくなった。
本当に手の掛からないいい子だったなあ。



棺の中のハナ。

今年はお別れの1年だな。

まあ、こういう年回りなんだと思うしかありませんな。

皆々様のご冥福をお祈りいたします。


2015年3月16日月曜日

Mother's not dead !!



Mother's not dead, she's only a sleeping

Just patiently waiting for Jesus to come

The birds will be singing while mother is sleeping

They will sing o'er as the grave sinks away
(Bill Monroe)

母が亡くなった。
もう2ヶ月も前の話だ。ブログを書き出したが、どうしても3行以上書けず、そのまま放置してあった。当然ながらすでに葬儀は済ませ、四十九日も半月前に済ませた。

1月13日(火)は、年が明けて初めての長い会議の日であり、ワシが進行役を務めていた。
午前11時過ぎ、病院から電話がかかってきたので、その場をボスに任せ、会議室を出て行き、電話に応答した。

「お母様は透析中に急に血圧が低下したため、中止して病室に戻ってきました。今すぐどうこうと言うことはないと思いますけど、ちょっと危険な状態です。」と看護師長は言った。

その日の会議は大事な会議であり、進行役を務めていたこともあって、すぐに病院には行かず、姉に連絡して託した。

仕事を5時まで行い、病院に直行したが、道が混んでおりおよそ2時間弱もかかってしまった。
姉は午後から休んで父を迎えに行き、病院にいた。

師長が説明してくれたが、今は安定し、モニターの数値もまずまずになったとのことだった。
しかし、血圧は上が85前後とかなり低い。このまま行くと明後日の透析も難しいとのこと。
透析は、朝、透析の先生が判断し、中止もあり得るとのことであった。
透析を何回パスすれば命に関わるのかはよく知らない。しかし、先日、新聞で透析を拒否した患者の話が載っていたが、10日ほどで亡くなったという。だから数日しか持たないのだろう。

その日は、安定したこともあり、帰宅した。


14日になった。
午後4時過ぎになり、姉からメールが入る。

「大分、心拍数が下がり、血圧も下がって、来ていただいた方が良いと婦長さんに言われましたので、来てください」

ボスにレクを入れる必要があったので、手短に済ませ、「もしかするともしかします」と言い残し、病院へ。

病院に着いたのは13日とほぼ同じ6時半過ぎだった。
病院には父、上の姉とダンナ、下の姉がそろっていた。
母は、もうホントに、弱々しく息をしているだけだったが、数値的には昨日と同じような感じであった。

9時を周り、93歳の父も疲れてくるので、そろそろ引き上げようかという話になった。
数値的には昨日とたいして違わないし、安定しているように見えた。
そうこうしていると、看護師さんが「今日はお泊まりになりますよね」という。
「そんな感じなのか?」

父と姉たちは帰り、ワシとカミさんが残った。
10時近くなり、さすがに腹が減ったので、近くのファミレスに行くことになった。
「夢庵」で夕食を摂り、駐車場に出たところで電話が鳴った。
「危険な状態です。すぐに戻って下さい」

病室に戻ると、母はやっとの事で呼吸をしているような感じだった。
血圧は落ち、呼吸数が減り、脈は間延びしてくる。

電話して呼び戻した下の姉と甥が帰ってくる。

脈拍がゼロになる。
「ガンバレ、お母さん」と肩を揺する。
脈拍が復活する。
また、ゼロになる。

こんなことをくり返し、やがて戻らなくなった。


よく、テレビドラマで、モニタの脈拍が平坦になり・・・「ツーーーーー」「ご臨終です」というのがあるが、あれはウソだね。

ま、そんな様子で、母の一生が終わるところを目の前で見ることができた。
親の死に目に会えたのである。 最後は苦しむこともなく、ろうそくの炎が徐々に小さくなるように、だんだん弱って亡くなっていった。だから幸せな最後だったのではないか、と、そう思いたい。

看護師さんが「どうします?みなさんそろってからになさいますか?」という。
何のことだ?と思ったが、たぶん死亡確認のことだと思い「ハイ」といった。

やがて、一番上の姉夫婦と息子、ウチの息子が来て、父がタクシーで駆けつけた。
父は、なんたることか喪服を着ている。「おいおい、早いよ、まだ」。


ここまでかいて、ハア、疲れた。
続きはまた今度・・・あるかな?
とりあえずの記録です。