仕事で忙しくてどうにもならないというわけでもなかったので、単に発信したい気分にならなかったということデスかね。
今年は、服喪中と言うこともあり、年賀状も出さず、おせち料理も食べない、盛り上がりのない正月休みである。しかし、元日には例年通り実家に集まり新年会を行った。
実家に行ってみると、例年出前を取っている寿司屋の電話が通じないと母が困っていた。仕方がないので、宅配寿司「銀のさら」に電話してみると4時になるという。「くら寿司」の持ち帰りにすることにして店に出向いた。6人前の一番よさげなヤツを頼むが、たったの3000円。そのほかに生魚の嫌いな娘用にイカ、タコ、巻物を頼んでも3800円。なんと安いことでしょう。今までは、寿司代に2万円くらいは使っていたと思うことを考えると、もう、ビックリするくらい安い。
待っている間、今まで出前を取っていた寿司屋についてスマホで検索してみると、昨年の2月で閉店したらしいことがわかった。京葉道路市川インター近くは回転寿司の激戦区。「くら」の他に「かっぱ」もあるし「銚子丸」もある。「くら」には次から次に客が来る。ちゃんとした江戸前寿司には敵うはずもないが、似たような味で1カン50円。これでは昔ながらの寿司屋は持ちこたえられないであろう。
元日生まれの父はこの正月で91歳になった。
長生きである。
大正11年1月1日。1の4並び。めでたいような感じがする。
歳をとっても元気な父であるが、さすがにここ数年ものすごく歳をとった。
話が長い、そして、何度も同じ話をする。
正月には何年か続けて、決まって「マルケ兵器」の話をする。
陸軍の技術将校だった父が戦時中従事していたプロジェクトの話だ。
今年は甥っ子が相手になった。いろんな話を2時間くらい聞かされていたのではなかろうか。気の毒に・・・。
「マルケ兵器」は終戦間近に開発されていた爆弾で、航空機から投下されると凹面鏡で捉えた熱線を検知して、対象となる艦船を自動追尾して爆破するという代物である。
(ウィキペディアに記述があった。「ケ号爆弾」と称するらしい。)
凹面鏡は4象限に分割されており、感知した熱源の方向がわかるようになっている。そして、その熱源の方向に向かって油圧で舵を切り、自動追尾するという寸法である。しかし、油圧制御ではタイムラグが大きすぎ、うまくいかず、そのうちに終戦を迎えたとのことである。
現代の我々の感覚から言うと、4象限とは、きわめてアバウトな感じがする。また、油圧制御というのも着想しにくい。今ならばモーターで瞬時に舵を切るであろう。極薄のスマートフォンにさえも着信を振動で知らせるちっこいモーターが入る時代と違って、当時はそんなモーターはなかったのであろう。なにはともあれ、70年も前に現代のミサイルと同様のアイデアを実現させようとしていたことには敬服する。
私自身はこの話、子供の頃に何回も聞かされてきたので、何となく覚えてしまっている。
プロジェクトリーダーはロケットの父、糸川英夫博士である。父がこのプロジェクトでどのような役割を担っていたのかは知らない。二十歳ちょっと過ぎの陸軍少尉である。たいしたことは任されていなかったのでは無かろうか。
東大の中庭にある、「おおすみ」の模型。ロケットの父、糸川博士が成功させた日本初の人工衛星である。 |
私は「マルケ」の話はもういいから、そのほかの話・・・我が家のルーツの話とかを、聞き出し、記録しておきたい。もう、そんなに時間は残っていないであろうから。
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