2013年1月19日土曜日

積雪は生命の危機?

意外な大雪になってしまった。
2013年1月14日の成人式は大荒れになった。成人式の頃は結構雪が降るような気がする。

12日の土曜日、天気予報では「月曜日は雨。場合によっては雪がまじるかも」程度のことを言っていたので、たいした心配はしていなかった。でも、もしかしたら・・・と思い、ヒマもあったことから、スタッドレスタイヤに替えておいた。

14日は朝から雨がジャンジャン降っていた。
冷たい雨だった。犬の散歩はつらかった。
11時頃になり、雪混じりになってきた。しばらく見ていると、あれよあれよという間に雪になった。

近所の家のスズキスイフト。雪の中でちんまり丸まったネコのようだ。
家のすぐそばにある通称「東金街道」。徳川家康が東金に御鷹狩りに行くために作られた。
まっすぐな道である。三日三晩で作られたと言われている。


14日は月曜日。
月曜日は母の透析の日である。

透析患者は週に3回、欠かさずに透析しなければならない。
サボれば命に関わる。

透析の日は医院から送迎の車が来る。
しかし、雪になると良く止まるのだ。
11時頃、雪が降り始め、心配になって電話をした。
父が言うには、「大丈夫だよ。迎えに来るんだから」
わりと楽観的であった。
結果から言うと、このときにワシが行っていれば問題はなかった。

病院からの迎えは12時過ぎで、我が家の周りではまださほど積もっていないようだったので大丈夫だと思っていた。
しかし、夕方電話をして父に聞いてみると、結局行かなかったのだという。
迎えの車がいつまで待っても来なかったというのだ。

透析患者は透析しなければ命に関わる。翌日確実にしなければならない。
しかし、翌日の朝は冷えが厳しく、雪がかちんこちんに凍っているはずだ。
ワシが仕事を休んで母を送迎してあげたかったのだが、その日は朝イチでどうしてもしなければならない仕事があり、父と母でバスを利用して病院まで行ってもらうしかなかった。
前日からタクシー会社に電話をして予約しようとしたが、受け付けてもらえなかったのも痛かった。

透析の病院は雪が降ってもキチンと送り迎えができるよう、スタッドレスタイヤぐらいは装備して欲しいものだ。命をつないでいるのだから。


今後こんなことが続いたらどうしようか・・・考えると憂鬱になる。
普段は車で30分で通える距離なのだが、このような状況に陥れば何倍にもなる。

父母と離れて暮らすことは、なかなかどうして難しい。


15日の朝、私は車で出勤した。
ノーマルタイヤで凍結した路面を走る強者、もしくは不届きものはそれほど見なかったが、坂道をあがれない車や、スタート時にケツを振る車も何台かは目にした。
勘弁して欲しい。もらい事故が怖い。

全体的には道はがらがらで、高速を使って快調に出勤できた。
スタッドレスタイヤに替えておいて助かった。

2013年1月5日土曜日

ASAKUSA

1月3日 浅草に行ってきた。
3が日に行くのは初めてである。
異常に人が多かった。
みんなが写真を撮っている?!
みんなスカイツリーの写真を撮っていたのだ。


一に浅草、二に観音、三に三定の天ぷら

三定の店内から見た雷門交差点。まさに人だらけ。ものすごい人が浅草寺まで続いている。


わんこも交通整理?(雷門交差点)


マルベル堂







大道芸人「koji koji mohejiさん」










ライカの分解整備で有名な早田カメラ






2013年1月3日木曜日

2013年1月2日 習志野

家のそばにある誉田(こんだ)八幡神社に散歩がてら行ってみた。
最近、改修工事を行っていたのでちょっと気になっていた。
PENTAX k-xにM42アダプタをくっつけて、smcタクマー28mm/f3.5、flektogon 35mm/f2.4、smcタクマー105mm/f2.8のオールドレンズ3本を持って行った。

しかし、結局upしたのは全部flektogonで撮ったものだった。
さすが東独カール・ツァイス。このレンズやっぱ、好きだわ。


フレクトゴン35mm/2.4

真新しい狛犬 フレクトゴン35mm

今年は皇紀2673年なんだそうである。 フレクトゴン35mm

フレクトゴン35mm 本当にいいレンズである。



この神社のすぐそばに、習志野騎兵第一旅団はあった。
第2代の旅団長はあの秋山好古。言わずと知れた坂の上の雲の主人公である。
そして、第21代が栗林忠道、そう、あの「硫黄島からの手紙」の主人公。
これは皇紀2600年記念の参道敷石記念碑。揮毫は栗林忠道少将である。今日初めて知った。



2013年正月

おお、なんてこった、2ヶ月も放置していたとは。
仕事で忙しくてどうにもならないというわけでもなかったので、単に発信したい気分にならなかったということデスかね。

今年は、服喪中と言うこともあり、年賀状も出さず、おせち料理も食べない、盛り上がりのない正月休みである。しかし、元日には例年通り実家に集まり新年会を行った。

実家に行ってみると、例年出前を取っている寿司屋の電話が通じないと母が困っていた。仕方がないので、宅配寿司「銀のさら」に電話してみると4時になるという。「くら寿司」の持ち帰りにすることにして店に出向いた。6人前の一番よさげなヤツを頼むが、たったの3000円。そのほかに生魚の嫌いな娘用にイカ、タコ、巻物を頼んでも3800円。なんと安いことでしょう。今までは、寿司代に2万円くらいは使っていたと思うことを考えると、もう、ビックリするくらい安い。

待っている間、今まで出前を取っていた寿司屋についてスマホで検索してみると、昨年の2月で閉店したらしいことがわかった。京葉道路市川インター近くは回転寿司の激戦区。「くら」の他に「かっぱ」もあるし「銚子丸」もある。「くら」には次から次に客が来る。ちゃんとした江戸前寿司には敵うはずもないが、似たような味で1カン50円。これでは昔ながらの寿司屋は持ちこたえられないであろう。


元日生まれの父はこの正月で91歳になった。
長生きである。
大正11年1月1日。1の4並び。めでたいような感じがする。

歳をとっても元気な父であるが、さすがにここ数年ものすごく歳をとった。
話が長い、そして、何度も同じ話をする。

正月には何年か続けて、決まって「マルケ兵器」の話をする。
陸軍の技術将校だった父が戦時中従事していたプロジェクトの話だ。
今年は甥っ子が相手になった。いろんな話を2時間くらい聞かされていたのではなかろうか。気の毒に・・・。

「マルケ兵器」は終戦間近に開発されていた爆弾で、航空機から投下されると凹面鏡で捉えた熱線を検知して、対象となる艦船を自動追尾して爆破するという代物である。
ウィキペディアに記述があった。「ケ号爆弾」と称するらしい。)

凹面鏡は4象限に分割されており、感知した熱源の方向がわかるようになっている。そして、その熱源の方向に向かって油圧で舵を切り、自動追尾するという寸法である。しかし、油圧制御ではタイムラグが大きすぎ、うまくいかず、そのうちに終戦を迎えたとのことである。

現代の我々の感覚から言うと、4象限とは、きわめてアバウトな感じがする。また、油圧制御というのも着想しにくい。今ならばモーターで瞬時に舵を切るであろう。極薄のスマートフォンにさえも着信を振動で知らせるちっこいモーターが入る時代と違って、当時はそんなモーターはなかったのであろう。なにはともあれ、70年も前に現代のミサイルと同様のアイデアを実現させようとしていたことには敬服する。

私自身はこの話、子供の頃に何回も聞かされてきたので、何となく覚えてしまっている。
プロジェクトリーダーはロケットの父、糸川英夫博士である。父がこのプロジェクトでどのような役割を担っていたのかは知らない。二十歳ちょっと過ぎの陸軍少尉である。たいしたことは任されていなかったのでは無かろうか。

東大の中庭にある、「おおすみ」の模型。ロケットの父、糸川博士が成功させた日本初の人工衛星である。
「マルケ兵器」はともかく、尖閣問題などによるナショナリズムの先鋭化に父も刺激されているらしく、最近は中国人のことを蔑称で呼ぶ。昔はそんなことがなかったのに残念である。ここでナショナリズムの盛り上がりに流されてしまっては歴史を学んでいないことにならないか?このような問題は万人が納得する決着法はなく、また、双方が納得する解決法もないと思われる。このようなことで先鋭化してもどちらにも利益はないはずだから、白黒付けようとせず、何となく放っておく・・・、いや、放って置いた方が双方の利益になるような環境を作るのが賢いやり方なのではないだろうか。良くわからんが・・・。

私は「マルケ」の話はもういいから、そのほかの話・・・我が家のルーツの話とかを、聞き出し、記録しておきたい。もう、そんなに時間は残っていないであろうから。