その日ワシは大学の先生、K前学部長の退官記念パーティに出ていて、同窓会の方は2次会だけ出席した。33歳で入学した修士課程でもっとも刺激を受けたのがK先生の農政学特論だった。現場の一技術者だったワシにとっては、視界が一気に広げられたゼミだった。ワシは先生の直弟子ではないが、きわめて強い影響を受けた。だから、是非とも出席したかったのだ。
同窓会を企画したのは、マスブチだった。
彼と出会ったのは中学3年生の時、本八幡の明星学院という学習塾でだった。
すぐに仲良くなって、塾の帰りに駅前の水銀灯を蹴って消して歩いたり、良く悪ふざけをしたものだった。
ある日、塾の先生に二人で呼ばれた。「辞めろ」といわれた。
「おまえらはふざけすぎだ。他の生徒の迷惑になる。だから塾を辞めろ」そういわれた。
それほど良くふざけていた。
高校も、似たような学校を受け、結局同じ公立高校に進んだ。
家が近かったので、彼が2年生の時に西船橋へ引っ越すまではよく遊んだものだ。
ドラムを叩くマスブチ。手前にあるのは当時、きわめてめずらしいkorgのアナログシンセ。 まだ和音が出せず、単音しか出なかった。確か20万円だった。全てN野の持ち物。1975年秋。 |
バンドも一緒にやった。
彼は、カレン・カーペンターのファンで、ドラムを所有していたわけでもないのに、器用にたたいた。しかし、絶対的な練習量が確保できるわけもなく、本番ではシンバルをたたくべきところで空振りし、下からしゃくり上げたりして、当然リズムはくずれ・・・まあ、うまいというわけではなかった。ギターは結構うまかったけどね。
そんな彼が企画した同窓会の2次会に出たのだ。
大学を出た年の夏、科学技術館で行われていた「三峰」のバーゲンで偶然会って以来、約30年音信不通だったマスブチに会いに行ったようなものだった。
しかし、彼はいなかった。
突然死したのだという。
会場に着くまで、同窓会はあまり気乗りがしていなかった。
しかし、そこで会った1年生の頃のクラスメートと意気投合し、昔を思い出した。
それはビックリするくらい懐かしい出会いであったのだ。
ほとんど忘れていた記憶が、次から次へとイモヅル式に思い出され、それはそれは、メチャクチャ懐かしく、嬉しい出会いであった。
高校1年のクラス。N石君の引っ越しみんなで東京駅まで見送りに行った。 |
その後、1年生のクラス会を企画し、それから交流が再開した。
今も、大変楽しく交流を続けている。
これもマスブチのお陰だと思っている。
しかし、彼に会えなかったのは返す返すも残念である。
齢50を超えて3年あまり。
人と会える機会があれば、なるべく会っておこうと思う。
何があるかわからないから。
そんな歳になった。
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