初めて聞いた高校生の頃からずっと好きだった。
ザ・バンドの3人のボーカリストの中でも取り分け好きだった。
喉頭ガンを患って一度声を失った彼が、声を取り戻し作ったアルバム”Dirt Farmer”、”Electric Dirt”はとても素晴らしく、2作連続でグラミー賞を受賞した。
元気に活躍していただけにとても残念である。
メンバーの中の唯一のアメリカ人。ドラムスだけでなくマンドリンも弾き、ブルーグラス人脈にも繋がっていた。
アーカンソーの綿花栽培農家出身の彼の家では、子供の頃、よく、グランド・オール・オープリーを聞いていたそうだ。また、6歳の時、初めてみたライブはビル・モンローだったそうである。従って、彼のルーツには間違いなくカントリーやブルーグラスがあったわけだ。
この動画は、The Last Waltz での”The Night They Drove Old Dixie Down”。
ほとんどのアメリカ人の記憶から消え去っていた南北戦争を題材にした歌である。間違いなくThe Bandの代表曲のひとつであろう。
リヴォン・ヘルムの死に先だつ1ヶ月ほど前、アール・スクラッグスが死んだ。
ブルーグラスが好きな人なら誰でも知っているが、ブルーグラスの父であるビル・モンローとともにブルーグラスを作った人である。Bluegrass Boysにスクラッグスが加入した時点でブルーグラス音楽ができたといわれる事も多い。
アール・スクラッグスは現代におけるバンジョー奏法の、おそらく8割方を、たった一人で作り上げた人である。彼なくしてはブルーグラス音楽の現在はなかった。
リヴォン・ヘルムの最後のアルバムは、グランド・オール・オープリーが行われていたライマン公会堂で行われたライブのDVD。これもグラミー賞を受賞した。2011年のベスト・アメリカーナ・アルバム。素晴らしいライブだ。
1980年のアカデミー賞受賞映画「歌えロレッタ!愛のために」でも、ライマン公会堂のオープリーの映像がずいぶんと出ていた。その映画でロレッタ・リンの父親役をやっていたのはリヴォン・ヘルムその人だった。
リヴォン・ヘルムとライマン公会堂、グランド・オール・オープリー、カントリー、ブルーグラスは切っても切れないものだったようだ。